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communicationとボードゲームに関するshidhoのブックマーク (2)

  • 大富豪で盛り上がれないと、肩身が狭い - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    はてなダイアリの関連エントリという機能で、こういう記事が表示された。 拒症患者の人生のつまらなさの問題(Dr.KOBAの身もふたもない話) 内容は、拒症患者に、カードゲームをさせて競わせたところ、健常者よりも興奮しなかった、という脳科学のデータの紹介である。たかだかカードゲームで盛り上がれなかったくらいで、「人生のつまらなさ」とか言っちゃうところが、「心理学のつまらなさ」だよ!とか思ったのだけど、下のコメント欄では、筆者と当事者との間での、真摯なやりとりが記録されている。日々、臨床現場に来る拒症患者の人生を、面白いものにしようとしている、真面目な支援者の人のブログだった。だから、揶揄するつもりはなかったけれど、やっぱり気になるので、書いておく。 先日、友人に誘われて、グループ旅行に行ってきた。私は、集団行動がとっても苦手なのだけれど、興味があって参加してみた。すると、夜になると、お酒

    大富豪で盛り上がれないと、肩身が狭い - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
    shidho
    shidho 2008/09/10
    大富豪がゲームとしてつまらないから盛り上がらないのかと思ったらそうじゃなかった。
  • 話題が豊富なだけではコミュニケーションは覚束ない - シロクマの屑籠

    2007-04-29 - 古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」 これは確かに“非モテのカードゲーム”に違いありません。この極端な比喩を書いてしまうからには、コミュニケーションなり適応シーンなりでお困りでしょうし、大いなる勘違いを惹起しかねないかと。 確かに、レアでコアな趣味なり何なりが適合した時の喜びは大きいですし、巧くいけば二者関係の強烈な接着剤となり得ます。また、手札の数が多いこと・知識ジャンルの引き出しが多ければ多いほど重宝するということにも異論はなく、例えば症例12補足:文化多様性を生かしたカードゲームのようなコミュニケーションと、文化ニッチを越えたコミュニケーション(汎適所属)に挙げられているような話にも納得できる所があるわけです。コミュニケーションのモデリングのひとつとして、カードゲームに喩えること自体も決して間違っているとは思えない*1し、(repu

    話題が豊富なだけではコミュニケーションは覚束ない - シロクマの屑籠
    shidho
    shidho 2007/05/02
    強いデッキ持ってても使い方知らなければどうにもならないだけじゃん?とか言って例え話を混乱させてみる。
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