2006/03/22(水) 18:12:13 http://awarm.blog4.fc2.com/blog-entry-195.html 少々昔の議論を蒸し返すようで申し訳ないが、以下の引用部に触発されて考えたことについてまとめておきたい。 ある人の生存を無条件に認めないならば、誰の生存も無条件に認められたものではありえない。Aがなければ生きられない人α氏がいる。Aを行うかどうかが「財政的に可能かどうか」という条件が付される場合、α氏の生は条件を付されたのである。生きていてよいかどうか、誰かが勝手に決めてもよい存在とされたのである。 このことが意味することは、次のどちらかである。(1)このような社会に住む誰がα氏のように扱われても構わないことを認めている。あるいは、(2)このような社会が標榜する「正義」は、普遍化可能性を満たしていない。(2)はあまりに馬鹿げている。とすれば(1)である。