1931年の満州事変後、中国東北部を占領し、満州国を建国した日本政府。「100万戸移住計画」を閣議決定、村に補助金を出すなどして積極的に推し進めた。結果、全国各地から800以上の開拓団、およそ27万人が入植した。しかし“開拓“とは名ばかりで、多くは中国人が開墾した土地を安い値段で立ち退かせていた。そして岐阜県・旧黒川村から渡った600人余りが暮らしたのが、満州国の首都・新京とハルビンの間にある陶頼昭だった。 しかし日本の敗戦間際、ソ連軍が満州に侵攻。敗走する関東軍に置き去りにされた開拓団は、ソ連兵や現地住民の略奪に遭った。 小学6年まで現地にいた安江菊美さん(85、当時7)の記憶に焼き付いているのは、当時の緊迫した状況だ。「終戦で国が無くなっちゃったから、守ってくれる人は一人もいませんよ。ましてや関東軍はみな逃げちゃってるから」。 戦況の悪化で、開拓団の働き手の男性は関東軍に根こそぎ召集さ
14日、台北市内の日本台湾交流協会の事務所前で、安倍晋三首相に謝罪を求めるプラカードを掲げる抗議活動の参加者ら(田中靖人撮影) 【台北=田中靖人】日本の対台湾窓口機関、日本台湾交流協会台北事務所(大使館に相当)前で14日、台湾人元慰安婦の支援団体などが抗議活動を行った。 抗議活動には「台北市婦女救援基金会」の関係者ら約60人が集まり、与党、民主進歩党と野党、中国国民党から立法委員(国会議員)が1人ずつ参加。「歴史は消せない、日本は謝れ」などと叫び、日本政府に謝罪と賠償を求める文書を同事務所職員に手渡した。 国民党の馬英九前総統は同日、南部・台南市の同党台南支部で開かれた慰安婦問題の抗議集会に参加。中央通信社によると、馬氏は支部の敷地内に設置された慰安婦像を前に、民進党の蔡英文総統が慰安婦問題で日本に弱腰だと批判した。 台湾では、元慰安婦だと名乗り出た女性2人が生存している。 一方、オースト
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く