『我が大学はいかなる国民・人種・民族に対しても開かれています』と口では言っていたとしても、 キャンパス内にヒトラーの銅像が飾られていたら「我々はナチズムを肯定しています。だからユダヤ人はここに来るな」という無言の主張になるし、 ネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)の銅像が飾られていたら「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、 ウルバヌス2世の銅像が飾られていたら「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、 コロンブス像が飾られていたら「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という無言の主張になります。 同様に、福澤諭吉像は「我々は脱亜論を肯定します。だから中国人や韓国人と友人になるつもりはありません」という無言の主張になります。 だから福澤諭吉像
今、アニメ界隈は一般にも浸透し、オタクだけでなく陽キャも今や当たり前に見るコンテンツと言われるようになってきた…はずだが 現状売上を見ると全く売れてなくむしろ年々下がっている 動画配信の収益までは分からないが作画のクオリティを見れば何となく察することができる (良いやつはそれなりに良いのだが悪いやつは2000年初頭かと思うくらいクオリティが低い) 無料で見るのが当たり前と思っているようなゴミク…奴は置いといて アニメそのものにお金を投げたいと言うやつは多くいると思う ただ、アニメは高い 円盤を購入するとなると一枚5000円〜10000円 1クール分でもすべて購入するとなると相当な金額だ とてもじゃないが気楽には手を出せない じゃあどうするか 地上波の放送を全てまたは一部をユーチューブに切り替えるのだ ユーチューブのスパチャシステムは非常に分かりやすい どこをどう押して金を投げればいいか猿で
物心ついた時からブスであるが故にあらゆる苦痛を強いられてきた。幼稚園では「増田ちゃん嫌いな人この指と~まれ」とみんなが団結する遊びが流行り、小学生の時はむしろブスであることを逆手に取りお笑い要員になることでクラスの人気を得た。中学校から上は思春期のためお笑い要員であることが恥ずかしくなりブスを武器にしなくなったら女子からはことあるごとにクスクス笑われ男子には罰ゲームで告白され学校の掲示板にはブスと書かれた。 この「罰ゲームで告白」は私の心に深い傷を植え付けた。「私に好意を持つということは罰なんだ」という気持ちは今でも抜けず、恋愛はしていない。異性にとって罰だとわかっているのに好意を期待することなどできない。 いわゆる醜形恐怖症だったのだと思う。常に己の顔が汚くて引き裂きたくなる気持ちと戦ってきた。 昨今、「かわいいは作れる」を合言葉に、詐欺メイクがネット上に広まっている。私も「それでブスが
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