1996年4月の広島戦で本塁打を放ち、巨人の長嶋監督(左)に出迎えられる一茂。シーズン後に戦力外を通告された ユニホームとの別れは突然、訪れた。1996年、30歳の夏。5月に2軍落ちした俺は川崎にある巨人の練習場へ向かうため、車に乗り込んだ。エンジンをかけようとした瞬間、呼吸が苦しくなった。 練習に行けるような状態ではない。「すみません、実は過呼吸になり、車を運転できません」と2軍のマネジャーに連絡を入れて練習を休んだ。それ以来、ユニホームを着ることはなかった。 最初に体調の異変を感じたのは2週間ほど前、神宮球場であった花火大会だった。青山にあった友人の事務所の屋上で見物していると、周囲の建物がグラグラ揺れ始めた。めまいとは違う。地震かとも思ったが、だれも騒いでいない。「飲み過ぎたかな」と、やり過ごした。 その1週間後、食事に出掛けたホテルで倒れた。突然、呼吸が苦しくなり、パニックに陥った