⇒江戸城が風水に基づいて作られた話はガセっぽい?という話 - Togetter 1603年の第二期工事からは築城の名手といわれた藤堂高虎が設計に加わるが、なんとこの人は、自分が風水をよく知らないので一旦城の設計を辞退しているんだよね 村井益男氏の「江戸城」に見える高虎と家康の会話 家康「江戸城の縄張りを命じる」高虎「え、オレ全然風水知らないんで、大丈夫ですか」家康「関係ないよ。お前みたいのがやればいいんだよ、おう早くしろよ」高虎「あざっす」 図を引いて持っていたら家康があれこれ加筆して都市計画が決まったという 初耳なので調べて見た。ウィキペディアの「江戸城」の項には外郭石壁普請と石垣普請に名前が載ってるけれど、そんなことは書いてない。 ⇒江戸城 - Wikipedia 「藤堂高虎」の項には その後、高虎は徳川家の重臣として仕え、江戸城改築などにも功を挙げたため、慶長13年(1608年)に伊