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言葉と考え方に関するshimazoomのブックマーク (2)

  • 牛になる事はどうしても必要です/漱石が若き天才に贈った言葉

    1916(大正5)年8月21日、数えで50歳の夏目漱石は、次のような激励の手紙を送った。 勉強をしますか。 何か書きますか。 君方は新時代の作家になる積(つもり)でせう。 僕も其積(そのつもり)であなた方の将来を見てゐます。 どうぞ偉くなつて下さい。 然し無暗にあせつては不可(いけ)ません。 たゞ牛のやうに図々しく進んで行くのが大事です。 そして8月24日に、もう一通。 この手紙をもう一君らに上げます。 君らの手紙があまりに溌溂としているので、無精の僕ももう一度君らに向かって何かいいたくなったのです。 いわば君らの若々しい青春の気が、老人の僕を若返らせたのです。 (中略) 牛になる事はどうしても必要です。 吾々はとかく馬になりたがるが、牛には中々なりきれないです。 僕のような老猾(ろうかつ)なものでも、 只今(ただいま)牛と馬とつがって孕める事ある相の子位な程度のものです。 あせっては不

    牛になる事はどうしても必要です/漱石が若き天才に贈った言葉
  • 「あきらめたらそこで試合終了ですよ」という言葉の意味。 - Something Orange

    先日の「物語夜話ラジオ」がおもしろかったので、インスパイアされて記事を書いてみる。 テーマは「あきらめたらそこで試合終了ですよ」。近頃、この言葉の意味をつくづく実感するようになった。そうなのだ。あきらめたらそれまでなのだ。 以前、ぼくは、この言葉を一種の根性論として理解していた。勝負が見えていてもとにかくあきらめずさいごまで全力を尽くせ、という意味だ、と。 しかし、最近ではもうすこし違う意味に解釈している。ひとは、じっさいには可能なことでも、不可能だと思い込んでしまうことがある。そしてそう認識したとたん、当に不可能になるのだ、ということ。 たとえば、ぼくもそうだけれど、「自分は絵を描けない」というひとがいる。が、目が見えて、手が動かせるなら、物理的な意味では、描けないはずはないんだよね。 ようするにそれは「描けないと思い込んでいる」だけなのだ。もちろん、技術的な巧拙はある。そのままではへ

    「あきらめたらそこで試合終了ですよ」という言葉の意味。 - Something Orange
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