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ブックマーク / somethingorange.net (2)

  • 『スティール・ボール・ラン』は荒木飛呂彦の最高傑作になるか? - Something Orange

    スティール・ボール・ラン (1) ジャンプコミックス 作者: 荒木飛呂彦出版社/メーカー: 集英社発売日: 2004/05/20メディア: コミック クリック: 61回この商品を含むブログ (143件) を見る 荒木飛呂彦の『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズ第七部『スティール・ボール・ラン』が、来月、最終回を迎える。累計100巻を超え、なおも続く超大河作品だが、このシリーズに限っては停滞はまるで感じ取れない。物語はいまも驚くべき展開を続け、未踏の結末へ向け驀進している。 恐ろしいことに、100巻以上読んできている読者にとっても、先の展開は全く見えない。いったい来月、どんな結末が待ちかまえているのか、読者はただ楽しみに待つのみである。 しかし、この作品はいったい何なのだろう。普通、どんな作家も、何十年も描きつづけるうちに、その個性はかたまり、資質はあきらかになり、マンネリとはいかないまでも、お

    shimazoom
    shimazoom 2011/03/25
  • 「あきらめたらそこで試合終了ですよ」という言葉の意味。 - Something Orange

    先日の「物語夜話ラジオ」がおもしろかったので、インスパイアされて記事を書いてみる。 テーマは「あきらめたらそこで試合終了ですよ」。近頃、この言葉の意味をつくづく実感するようになった。そうなのだ。あきらめたらそれまでなのだ。 以前、ぼくは、この言葉を一種の根性論として理解していた。勝負が見えていてもとにかくあきらめずさいごまで全力を尽くせ、という意味だ、と。 しかし、最近ではもうすこし違う意味に解釈している。ひとは、じっさいには可能なことでも、不可能だと思い込んでしまうことがある。そしてそう認識したとたん、当に不可能になるのだ、ということ。 たとえば、ぼくもそうだけれど、「自分は絵を描けない」というひとがいる。が、目が見えて、手が動かせるなら、物理的な意味では、描けないはずはないんだよね。 ようするにそれは「描けないと思い込んでいる」だけなのだ。もちろん、技術的な巧拙はある。そのままではへ

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