22話をもって最終回を迎えた「ギルティクラウン」。 2クールのオリジナル作品ということで期待された「ギルクラ」ですが、インターネットを中心にシナリオに対する批判が集中しました。 私もこの作品は「なにかがおかしい」と納得いきませんでした。 ただその理由はシナリオがおかしいというよりも、キャラクターの描かれ方に納得感がなかったのではないかと考えています。 何故納得感がなかったのか。 舞台装置的キャラクターを多用しすぎたことと、キャラクターの人格描写が薄かったからだと私は結論付けました。 それでは以下で詳しく見ていきたいと思います。 今回の記事では、物語の進行を円滑にする役目を担ったキャラクターのことを「舞台装置的キャラ」と呼びたいと思います。 「狂言回し」(※)とは違って、舞台装置的キャラとはそのキャラクターがいることでシナリオが展開するような ―逆を言えばそのキャラクターがいなければシナリオ
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