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2014年10月2日のブックマーク (2件)

  • 大切なものを囲む複数の「声」または、こどもへの領分:藤井貞和朗読作品『パンダ来るな』、『泥の海』(高橋悠治:音楽)、『言葉と戦争』『ピューリファイ!』、『ピューリファイ、ピューリファイ!』など - みみのまばたき

    このエントリーは長くなります。 ほぼ一年の読書(と音源聴取)生活の継続した一部をここで全部とは言わないまでもある程度片付けてしまおう、ということです。 またもや極私的な告白からはじめると、まず、現代詩というものが朗読されるものであることを永らく無視してきた覚えがあり、ビートニクスの朗読などは知ってはいたものの、日の現代詩の詩人が朗読するという状況に立ち会ったこともなければ、なぜかそれをとてつもなく気恥ずかしいものであるかのようにもじぶんの観念を先入させてきたわけです。 詩のことばが「こえ」をともなって自分の像を結んだのは、先日の講演会での藤井貞和さんの朗読を聴いてから、なのでした。 藤井貞和さんには少なくとも3つの側面があって、それらは、 ①古代〜現代・聖俗・性別を様々な「こえ」をもって、言葉の実験としての(つまりルサンチマンではなく)現代詩を作り続ける詩人としての、それ。 ②また、和歌

    大切なものを囲む複数の「声」または、こどもへの領分:藤井貞和朗読作品『パンダ来るな』、『泥の海』(高橋悠治:音楽)、『言葉と戦争』『ピューリファイ!』、『ピューリファイ、ピューリファイ!』など - みみのまばたき
    shimomurayoshiko
    shimomurayoshiko 2014/10/02
    藤井「湾岸戦争で詩を書いた」周り「そういうのやめろよ」「意図が反戦詩でもなー」「つか“詩”じゃ解決できないでしょ」藤井「そういうことじゃないんだ」 / 俺は“自意識”を選びたい。藤井に一票。
  • 「現代詩手帖」稲川方人氏の発言への反論 | ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

    「現代詩手帖」稲川方人氏の発言への反論 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ 「現代詩手帖」稲川方人氏の発言への反論のページです。 「現代詩手帖」五月号の稲川方人さんの僕への発言のうち とりわけ奇異と僕自身が感じた箇所に 稲川氏とはことなり謙虚に 具体的な反論を加えておきます。 まずは氏の発言を全文転記打ちしたのち 番号を振って、順に阿部が反論するというかたちをとります。 一応、読みやすさ確保のため 改行なり補いなりを加えましたので、ご了承ください ● 稲川 詩の実作の内部において構築しうるものが 世界なんだという言い方を【阿部さんは】するわけですが【1】、 そんなことは わざわざ実際に詩を書いている人間が 言うべきではない【…】。 詩を書くものの意識としては 楽屋【2】を見せてはいけない。 つまり詩が世界を構築するものであり【3】、 その内部でそれぞれの詩人【4】がいい詩【5】を書けば

    shimomurayoshiko
    shimomurayoshiko 2014/10/02
    稲川「詩人が“楽屋”見せちゃ駄目でしょ。んな暇あったら“いい詩”書け」阿部「んなの見せてないし言ってないしつか“手の内”<だけ>では創れないでしょ。あと“いい詩”って何?」