上記まとめを読みました。 「ラノベは文学か?」 みたいな議論は定期的にTLに上がってくる。 これは「漫画は芸術か?」の議論と同じで個人的にはどうでもいいことだと思う。 だが、本音の部分では全然どうでもよくないと感じている自分もいるので、その相反する感情を一度言語化しておきたい。 ラノベも純文学も両方読めばいい 上記のような議論に対してどうでもよさを感じる最大の理由は、僕自身がラノベと純文学両方読むからだと思う。 当たり前だけど、両者を読み比べると全く趣を異にしている。文章に基準を置くか否かなんて些細な問題に思えるほどに。 どっちもいいよね。両方読めば違いをそのまま認めることができるのだけど、これがどちらか一方に偏っているとフラットに考えることが難しくなり、自分の好きな側に肩入れし、相手には厳しくなりがちだ。 やっぱり人間自分の好きなものが一番って思いたいですからね。 純文学も1つのジャンル
皆さん如何お過ごしですか。久しぶりのブログ更新となりますが、私はと言いますと去年の12月から婚約者の住む栃木に引っ越しをして就職活動を始め、4月のはじめから宇都宮の企業勤めが始まり、5月に相手の家の田植えの手伝いをしたり両親同士の会合のセッティングをして、7月に同棲してる家に帰ったら家財が殆ど引き払われている状態で婚約者から一方的な婚約破棄を伝えられました。 このことについて、話をしようと思えばそれはもう無限に書き込みをすることができるのですが、法曹関連が絡んでいるのでネット上では書けません。Twitterに当時大量にパニくった状態の書き込みをしましたが、大人の事情で削除させられました。Togetterまとめに魚拓が取られているので読みたい人は読んでみてください。たまたま法学部だったことが幸いして、内容証明郵便とか全部自分で書けて良かった(良くない) 大学生時代、「法学部は就職のために入っ
女装の先にある境地として 女装についての細かい言及は無かったが、自分自身、1つだけ真理だと思っていることがある。 それは『いくら女装に熟達しても男性的な小汚い部分は必ず残る』ということである。 女装というのは不思議なもので、自分に合う髪型を探してみたり、可愛い洋服を身に着けてみたり、メイクを覚えたりなど、少しずつ女性と同質の経験を踏むことによって逆に自分の男性性、つまり『小汚い部分』が少しずつ浮き彫りになってくる。 いくらメイクをしてもヒゲを丁寧に抜いても、生まれ持った骨格や筋肉が鏡の前に立つオカマに『お前は男だ』という現実を突きつけてくるのだ。 なんてことを書く気持ちになったのは、最近たくさんRTしてもらったこのツイートがきっかけだったりする。 げんしけん二代目から登場した波戸賢二郎、可愛い「男の娘」というファンタジー要素をリアルな作風に持ち込んだクソキャラだと思っていたけれど、最新刊で
https://t.co/1jQgGuT2z2 こちらの記事によると、元の発言はオーウェルではなく、ワシントンポストの元チーフ・エディターが言ったもの..「「ジャーナリズムとは報じられたくない事を報じることだ。」という名言のウソ。」https://t.co/FBdBl4FGEP
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く