2012年9月19日のブックマーク (1件)

  • 禅語に親しむ

    随処に主となる この語は臨済宗の開祖である臨済義玄禅師が修行者に対して 諭された言葉で「随処に主となれば立処(りっしょ)皆真なり」 の一句である。いつどこにあっても、如何なる場合でも何もの にも束縛されず、主体性をもって真実の自己として行動し、 力の限り生きていくならば、何ごとにおいても、いつ如何 なるところにおいても、真実を把握出来、いかなる外界の 渦に巻き込まれたり、翻弄されるようなことは無い。 そのとき、その場になりきって余念なければ、そのまま 真実の妙境涯であり自在の働きが出来るというものである。 法句経の「おのれこそおのれ自身の主(あるじ)である。おのれこそ自身の拠り どころである。おのれがよく制御されたならば、人は得がたき主を得る」と云う 言葉にも通じることであるが、その主となっての自在の働きが万縁万境の中で 生き生きとして輝いてこそ立処真なりといえることなのだ。 釈尊最後の説