文学の衰退が叫ばれて久しく、活字離れを嘆く声が慢性化している昨今ではあるが、しかし、すでに四十年余りにわたって文壇とは決定的な距離を置いた立場でこの世界で生きてきた私に言わせれば、そうしたたぐいの苦悶は的を射たものではない。なぜとならば、その愚痴の意味するところには、さも文学の黄金期が存在したかのごとき印象が付きまとっているからで、もしもそんな幻影に本気でしがみついているのだとしたら、おめでたさの極みであり、そんな認識だったからこそ迎えてしまった凋落ということになる。 近代文学の黎明期における、欧米文学のパクり易いところだけをパクるという、いかにも安易で、いかにも日本的な取り組みの姿勢は、当初はそれだけで新鮮な衝撃を与え、ラジオもテレビも映画もない時代における最大の娯楽と文化になり得て、その質より何より商売的な大繁盛を迎えるという幸運に恵まれ、不幸にしてその大盛況が即、文学の黄金期と錯覚す