七卿落ち(八月十八日の政変)でやむなく都を追われた公家・三条(実美・さねとみ)卿ら七卿は、久坂玄瑞(くさかげんずい)の案内で長州に下向したのだが、真っ直ぐ萩(はぎ/長州藩藩都)には向わなかった。 向かったのは、長州藩二ヶ国の内、周防国・熊毛郡田布施の高松八幡宮だった。 七卿筆頭の三条実美(さんじょうさねとみ)ら七卿は、逃れた長州の地・田布施で松陰派(吉田松陰門下生)に「ある人物」と引き合わされて、そのまま滞在している。 伝えられる所に拠ると、落ち延びた一行を田布施で待ち受けてその「ある人物」を七卿に引き合わせたそれが、吉田松陰(よしだしょういん)門下の伊藤博文(いとうひろぶみ)と井上聞多(いのうえたもん・井上馨/いのうえかおる)だった。 山口県(周防)南東部瀬戸内海沿いに田布施町はある。 田布施町は現在でも人口一万七千人ほどの小さな町だが、実は此処から日本の近代化は密かに始まった。 つまり
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