仏教寺院の本堂で、キリスト教の葬儀の司式をしたことがあります。 1971年12月23日、名古屋で桜井錠一さんが主に召されました。74歳でした。わたしの妹、初穂の主人・桜井宣隆さんの父上です。宣隆さんは、無教会の政池仁先生の信仰の弟子でした。すでに宣隆さんの影響で、その母上も、妹さんの一人も、わたしの父から受洗。また父上の錠一さんも、病床でわたしの父から洗礼をうけられました。 桜井錠一さんは獣医師です。鉄道以外まだ輸送力の主流が馬だった敗戦前、名古屋の物流拠点の中川区に住まいを定め、馬の病気や蹄鉄の面倒を診、敗戦後は名古屋の市議会議員を2期されました。背筋がぴんと伸び、弁舌さわやかに「ご承知と思うが」が口ぐせでした。あの名古屋市の雄大な道路網計画にも参画され、米軍の爆撃で自宅も焼けながら、焼失した近くのお寺の再建にもつくされました。 桜井家としては歳末の葬儀で、教会を借りたくてもつきあいがな
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