今、大塚英志の『サブカルチャー文学論』を読んでいるのだが、江藤淳のサブカルチャー観を問題にする次のような記述に、僕はかなりガツンとやられた。 ところで江藤がここで「サブカルチュア」をいわゆるアニメやコミックといった具体的な領域を指して言うのではなく「全体文化」から乖離した「部分的な文化現象」の意味で用いていることに注意したい。このような文脈でサブカルチャーを語る時、江藤の中ではやはり「全体文化」の存在が所与のものになっていることをここで確かめておきたい。「サブ」すなわち「部分」なる語は否応なく「全体」の所在を証明してしまうことになるからだ。 しかし、そもそも「全体文化」とは何なのか。例えばここで江藤が「全体文化」ではなく「上位文化」と記していれば理解し易い。その場合はただ文化的なヒエラルキーの中で上位にくる高級な文化を思い起こせばいいのであって、例えばいわゆる「文学」を多くの人はその中に加