「私がプロに入った頃は、野球選手になったら『親の死に目には会えないと思え』と言われていました。今はそんな時代じゃない。昔のそのような考えは間違っていたと思います。良い変化をしたというのではなく、今が普通になったんです。しかし、当時はそれが当たり前だと考えていました」 「負けた試合日」の家族風景 日常生活も然りだった。遠征やキャンプなどで家を不在にすることが多かったうえに、たまに家にいても子どもたちとはすれ違う生活。ナイターが終わって帰宅するのはもちろん深夜になった。 「私の場合はそれだけでなく、筑波大学の先生のもとでトレーニングをしていたので(西武本拠地の)所沢で試合が終わった後に車で茨城まで行って、朝帰ってきて昼間に寝て球場に行くみたいな生活をするときもありましたから」 当時、工藤家の子どもたちの中には、とある“掟”があったという。 【次ページ】 「もっと子どもとの時間を大切にしていれば