※阿部定事件を研究したい人のために公開しています。文中に今では不快、露骨と思える単語や言い回しがありますが、70年以上前の当時の時代的背景等を尊重するため、あえてそのままとしました。またプライバシー保護のため、本文中、親族や関係者等の氏名は適宜伏字とし、地名や住所等についても適宜伏字としたり大雑把な記述にしました。 青年将校たちが帝都で叛乱を起こし虚しくも散っていった動乱の昭和十一年。その三ヵ月後の五月十八日、東京市荒川区尾久町(現・東京都荒川区東尾久)の待合「満左喜」で、細紐で首を絞められた男性の死体が発見された。頭部を西向きに横臥していたその死体は、以後今日まで、さまざまな文学者や映画・演劇関係者などの関心の的となっていく。それは、その被害者・石田吉蔵(当時四十二歳)の性器が根もとからすっぱり刃物で切りとられていたという前代未聞の猟奇的な犯罪だったからである。 明らかに七日間の長逗