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  • 思春期、反抗期、中二病、パパとの別れ - のんびり母さんの波瀾万丈記

    今でこそ買い物行ったり事に行ったり 仲良しの私と娘なのですが、 娘は中2くらいから、甘えっ子の片鱗がみじんもなく反抗がヒートアップして、悩ましい日々を送っていました。 躁うつの躁がひどい暴君でオレ様の主人とは一触即発しそうな雰囲気が常にあって、私は双方に気を遣っていつも疲れていました。 徹底的に管理したがる主人、主人に合わせる私、そんな私を見てイラつく娘、イラつく娘の機嫌を伺う私、 最悪の負のループの中で、もがいて生活していました。 些細な事でキレてつっかかる娘とは何度泣きながら言い合った事でしょう。 主人もキレて怒鳴って近所から通報されて5人も警察官がドタドタ家の中に入って来た事もありました😅 「ママ大好き!」 だったのがいきなり「消えて!」 と言われ続け、中学の時は中二からは体育祭や文化祭等学校行事には1度も行きませんでした。 学校に顔を出すなと言われて、結局卒業式も行きませんでし

    思春期、反抗期、中二病、パパとの別れ - のんびり母さんの波瀾万丈記
  • 必然の出来事から学ぶこと、、 - のんびり母さんの波瀾万丈記

    先日、やっとお墓参りに行ってきました。 主人の地元の霊園にお墓を建てたので、お墓参りも1日がかりです。 片道、電車とタクシーを使って数時間。日帰り旅行のようなものです。 帰りはいつも駅近のレストランで1人ランチ&グラスワインを飲んで帰ります☺️ お墓には、友人が供えたであろう、主人の好きなコーヒー缶が数置いてありました。 ありがたいなぁー^_^ 主人には地元で定期的に遊ぶ友達が数人いて私も含めてBBQや飲み会、旅行など、いつも楽しくやっていました。 葬儀の時もコロナの中みんな集まって送ってくれました。 30年以上付き合いの仲間たちは誰一人として主人の病気を知りませんでした。 なので、主人の自死には、驚きと戸惑いを隠せないようでした。 私から話すこともしなかったし、、 時々テンション高くてやばい時もあったけど、誰も気づかなかったのかなぁ、、 仕事辞めた事も誰も知らなかったし、 大人になって

    必然の出来事から学ぶこと、、 - のんびり母さんの波瀾万丈記
  • コロナの猛威がメンタルに与えたもの - のんびり母さんの波瀾万丈記

    金木犀の爽やかな香りが漂い始め、 秋の訪れを感じる季節となりました🍁 先月のお彼岸にはお墓参りに行けなかったので今月にはお墓参りに行きたいなぁと思っています。 今まで毎月行ってたのに9月だけは行けなかった、 お彼岸なのに、、 パパごめんなさい💦 主人が逝ってから早くも2年半、 あっという間でした。 たまたまですが、主人の四十九日と100日法要の同じ日に役者の方が自死してしまいました。 お二人とも名の知れた役者さんでしたので芸能界は激震だったと思います。 主人の法要の日と重なったのでインパクト強すぎて何の因果なのだろうかと不思議な気持ちにもなりました。 ただ偶然が重なっただけだと思いますが、、💧 突然に、得体の知れないウイルスで全人類を不安と恐怖に陥れた、 「コロナ」、、、 日常生活は制限され、自粛生活でストレスや孤立感が深まって、心を病んだ人は増え、病んでいる人は悪化しました。 実際

    コロナの猛威がメンタルに与えたもの - のんびり母さんの波瀾万丈記
  • 人生で起こる事すべてに意味がある - のんびり母さんの波瀾万丈記

    主人が逝ってからの事に時間を戻します。 主人は自死により向こうの世界に行ってしまいました。 主人が逝ってしばらくは、ひたすら、ぼーと過ごしていました。仕事を休職したので、子供たちを送り出したら何もしないで自分を休めていたように思います。 体は休めても頭の中はグルグルと色々な事を考えてしまい、しばらく倦怠感をまとっていました。 朝にはお坊さんにすすめられた般若心経と光明真言を唱えて主人の成仏を祈りました。 主人のために唱えたお経ですが、いつの間にか自分が落ち着くために唱えていたように思います。 しばらくはふわふわと現実感がなく、心が落ち着かなくて、 #自死遺族#のTwitterを覗いたり、ネット検索したり、色々なをむさぼり読みました。 宗教、スピリチュアル、自己啓発、死後世界等、自分にしっくりくる言葉を探していたように思います。 自分で気に入った言葉は紙に書いて、常に目に見えるところに貼

    人生で起こる事すべてに意味がある - のんびり母さんの波瀾万丈記
  • 自死ではなく病死だと思うのです - のんびり母さんの波瀾万丈記

    退院して2日後に主人は自ら、向こうの世界に逝ってしまいました。 これは現実なのだろうか、、❔ 冷たくなった主人と対面した時は、夢ではないだろうかと気で思いました。 あまりの衝撃で感情がフリーズして泣く事も出来ませんでした。 これは現実なのだ、、、 無理矢理自覚するにつれ、 私のせいだ!私のせいだ!とリフレインしていました。 主人を生かしてあげる事ができませんでした。 心なし、微笑んで見えるその亡骸に向かって、自分自身の無力さと後悔で、「ごめんね」としか言えませんでした。 反抗期だった子供たちは、泣きながら「パパごめん、パパごめん」と連呼していました。 どんなに声をかけてもパパは起きません。 パパとの生活は戻ってこないのです。 葬儀が終わり緊張感から解放されて主人の事だけを考えて過ごしました。 考えれば考えるほど、自分が主人を逝かせてしまったという自責の念と喪失感でますます感情が動かなくな

    自死ではなく病死だと思うのです - のんびり母さんの波瀾万丈記
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