2014年6月22日のブックマーク (4件)

  • 江口聡「ポルノグラフィに対する言語行為論アプローチ」[pdf]

    ポルノグラフィに対する言語行為論アプローチ∗ 江口聡 『現代社会研究科論集』第 1 号、2007、pp. 23-38 掲載の原稿。 1 問題設定 国内のジェンダー論・セクシュアリティ論に大きな影響を持つジュディス・バトラーの『触発する言葉』 (Butler, 1997) *1 は、英国の哲学者 J. L. オースティンの「言語行為論」(オースティン, 1978) を積極的に援用あ るいは「脱構築」し、憎悪表現、ポルノグラフィなどの社会的・法的問題を扱っている。しかし私の読みによ れば、このバトラーの解釈は多くの誤りを含んでおり、重大な問題がある*2 。 ここでは、残念ながらバトラーの曖昧で難解な*3 議論を追うことはできない。しかしバトラーの議論全体 は、レイ・ラングトンの論文 (Langton, 1993) のオースティン解釈に多くを負っており*4 、そしてラングトン のオースチン解釈

    shotany
    shotany 2014/06/22
    「したがって、ポルノグラフィ的表現がどのような帰結をもたらすのかを明らかにするために、ポルノグラ フィ愛好者たちの現象論的な研究は重要である。」
  • 犯罪被害と自衛の精神論 - c71の一日

    わたしが犯罪被害に会ったとき、犯罪者は夜のファミリーマートで、「襲っても勝てそうな女」を物色していたそうだ。だから、それが、わたしであっても、わたしでなくても、誰かが一人は、被害者になるのだった。わたしが自衛しても、被害者の数は減らせない、ということだ。強そうか、弱そうかのジャッジは、もちろん、犯罪者がすることなので、そのテストに受かるかどうかの保障は全くない。 犯罪者から見て、わたしは弱々しいだろうか、と常に自己点検したところで、犯罪者が、「ああ強そうだからやめておこう」と思ってくれる見込みはあまりにも少ない。 あの日、わたしは、会社帰りで、雨の中、いつものように、歩いて帰っていた。これを不用心だというひともいると思う。タクシーで帰るべきだと。でも、手取りで十五万円もない、人間が、そんな贅沢もできるわけでもなかった。十三万円くらいだったかな? 私の後を、ひたひたと足音が追ってくる。わたし

    犯罪被害と自衛の精神論 - c71の一日
    shotany
    shotany 2014/06/22
    「このとき、わたしは、何に対しても自衛していた。」「可能性の有無を、ゼロ/イチにわけるとしたら、わたしのこの行動には、合理性があるのだった。」自衛論の行きつく先。
  • 被害者の非? : 九段新報

    九段新報 犯罪学オタク、新橋九段によるブログです。 日常の出来事から世間を騒がすニュースまで犯罪学のフィルターを通してみていきます。 今週の土曜日に満を持して犯罪学解説動画の第1講を投稿しようというときに、ある事件が起きました。 市川女性刺殺:八丈島で元交際相手確保…「刺した」認める―毎日jp この事件は一種のストーカー殺人事件と言っていいでしょう。ほかにも見方はあるかもしれませんが、今回の話題の質ではないので細かい分析等はしません。この記事内では「拒絶型」ストーカーによる殺人として話を進めます。 この事件自体というよりは、周りの反応が今回私が動画を作り始めた理由に非常に関係があります。その事件に対する反応の中で、もっとも象徴的だったのが以下のツイートでしょう。 フィフィ@FIFI_Egypt雑な別れ際でトラブって、交際相手をストーカー扱いする事で、相手をさらに逆上させてるんだと思うよ。

    被害者の非? : 九段新報
    shotany
    shotany 2014/06/22
    「私は犯罪被害者に「非」などないと考えています。理由は以下の2つです。 ... 2つ目に、どんな行動でも被害者の非とすることは可能だからです。究極的には「被害者がそこにいたこと」も被害者の非として扱えます。」
  • 自己責任という呪術 - 地下生活者の手遊び

    http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20081126/1227713875を読んで 自己責任は万能 逃げるような男の子供を産むことに責任がある のであれば、母子家庭に対する支援策はいっさい不要にゃんね。 同じ理路で、典型的な通り魔犯罪以外の犯罪被害者を救済する必要もにゃーな。犯罪をするような輩とつきあっていたのがワリイ。それどころか、交通事故も当然予見されるのに道路に出たほうが悪く、交通事故被害者の救済も必要ナシ。 b:id:metalbabbleというのは、ネット右翼というよりも、思考力と恥の感覚が不自由なヒトなんでにゃーのかな? 呪術としての自己責任 まあ、この手の「被害者にも責任がある」という発想でまず連想するのは、某仏教系教団の集会へ出た時の思い出ですにゃ。 僕が高校1年のとき、弟が某学会員の市会議員の店で万引きをし、警察沙汰を勘弁してもらったので僕が集会にで

    自己責任という呪術 - 地下生活者の手遊び
    shotany
    shotany 2014/06/22
    「レイプされた女性にも責任があるという豚言説への反論資料」貼っておきますね。