ごぶさたしています。3ヶ月以上たってますね。前回は「残暑が厳しい」って書いてるし(笑) もはや冬本番ですね。京都はけっこう寒いです。今夜から明日の朝にかけて雪マークが出てる。うう、寒いの苦手〜。 2週間前に引っ越しました。めぞん一刻ふう「楽しい仲間たち」との半共同生活的アパートから、同じ左京区内なんだけど閑静で趣のあるエリアの貸家へ。あたし的には大変革です。引越した当初は以前に比べてあまりに広くて大きくて(あくまでも「前と比べると」ってこと)、身の置き所がない感じで落ち着かなかったし、心細いやらすごく寂しいやらで半泣きだった。でもじょじょにこの家に馴染んできた気がする。私この家すごく好きだわ。 でも家って寒いですね。夜に帰宅したら家の中が4度とかだもん。冷蔵庫の中にいるみたい。 あたたかくして、あと少しの今年を乗り切りたいですね。 その後の不自由 その後の不自由―「嵐」のあとを生きる人たち
秋口から忙しいために抵抗力が落ちている。なので扁桃腺が腫れて、口唇ヘルペスが出たりしている。 先日も扁桃腺が腫れて、いつもの町医者に行ったところ、高熱のために診療を拒否された。絶望しつつそこの駐輪場から発熱外来を検索して電話をすると今すぐ診てくれるという。 結局は溶連菌という。専用の抗生物質を飲んで立ち所に治って、翌日から仕事をしている。町医者に適当に薬もらおうと思っていたのを一度絶望させられたが、やはりきちんと診てもらうのは大事であった。 久しぶりに出張で遠出をした。お客さんのところに一日居たのだが、疲れてしまって後半はぐったりした。仕事における若さの重要性を思い知る毎日である。 Fit Boxingに北斗の拳バージョンが発売するという。PVを見たが、漫画の北斗の拳というよりはパチンコの北斗の拳に近い絵でがっかりした。まあ、そうなるんだろうけど。 買って放置していたFit Boxingを
ララ(Licensed Agencies for Relief of Asia)承認2か月後の1946年11月30日、救援物資を満載したハワード・スタンバーグ号が横浜港に入港します。 食料、医薬品、衣料、学用品など、荷揚げされた大量の救援物資はララ物資と呼ばれ、多くの日本人を救いました。 子供たちの栄養状態改善のため、日本の役所も動きます。 文部・厚生・農林三省次官通達「学校給食実施の普及奨励について」がだされ、1946年12月24日、東京・神奈川・千葉で学校給食が開始されました。 脱脂粉乳+汁物だけという質素なものでしたが、その高い栄養価が子供たちの健康状態を劇的に改善させました。 そして1948年には全国都市の児童約300万人に対し学校給食が開始。多くの子供たちの栄養状態が改善されていきます。 これらの給食にはララ物資で大量に供給された脱脂粉乳が使われました。 学校給食の始まりがララ物
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く