僕のblogのエントリなんてものは、何かを見たり聞いたりして思い起こされたものを書きなぐったようなもので、ネタ元として提示するblogエントリは、おおよそ想起させる元になった程度のものであったりする。 なんせ、その人の書いたことをそのまんま同意したとして、同じ気持ちを文に綴ったら、劣化コピーにしかならないと思うわけで、ある種のオリジナリティを持った文でなければ書く意味もない。*1だからこそ、連想ゲームのように形を変えもはや元ネタとはなんらの共通点も見いだせないようなエントリを想起して書いたりするわけだ。 いや、価値観なんて大層なもんじゃない。その人の向いた、見据えている方向に、同じく視点を定めて何かを書くということのほうがよほど難しい。同期しつつ同調しないなんてのはどれほど難しいことだろう。たった5Kbyte程度*2の文字列に人柄の情報を圧縮しきることは無理だし、だからこそ同じ方向を見据え