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考え方とBlogに関するshozzyのブックマーク (2)

  • ねじれの位置なエントリ - プログラマーの脳みそ

    僕のblogのエントリなんてものは、何かを見たり聞いたりして思い起こされたものを書きなぐったようなもので、ネタ元として提示するblogエントリは、おおよそ想起させる元になった程度のものであったりする。 なんせ、その人の書いたことをそのまんま同意したとして、同じ気持ちを文に綴ったら、劣化コピーにしかならないと思うわけで、ある種のオリジナリティを持った文でなければ書く意味もない。*1だからこそ、連想ゲームのように形を変えもはや元ネタとはなんらの共通点も見いだせないようなエントリを想起して書いたりするわけだ。 いや、価値観なんて大層なもんじゃない。その人の向いた、見据えている方向に、同じく視点を定めて何かを書くということのほうがよほど難しい。同期しつつ同調しないなんてのはどれほど難しいことだろう。たった5Kbyte程度*2の文字列に人柄の情報を圧縮しきることは無理だし、だからこそ同じ方向を見据え

    ねじれの位置なエントリ - プログラマーの脳みそ
    shozzy
    shozzy 2009/06/26
    このエントリ読んだら、「ねじれの位置からイノベーションは生まれる」なんて言葉が自分の脳みそのねじれの位置からアウトプットされた。うーんねじれてる。
  • 謝ってはいけない | おごちゃんの雑文

    まぁ今さら言うまでもないことだけど。 ネットの「炎上」ってどうしてなくならないの? これに、 それでも炎上してしまった場合は、謝るべきところは謝り、説明すべきところは説明することが重要なのだとか。 とか書いてあるんだけど、後半はさておき前半は違うと思う。 「炎上」なんてものの、何割かは「叩きたいから叩いている」に過ぎない。明確な意見の違いがあればスルーされるだけだし、間違いでも同じ。つーか、他人の意見を一生懸命叩くなんてのは、暇人のやることであって、ほとんどのネット上の意見は、 それはそれ に過ぎない。意見が違っても、「それは一つの考え方」で終わるのがほとんどだ。まぁ粘着君なんてのはどこにでもいるんだけど。 ほとんどの「炎上」は単なる集団ヒステリーの一種だ。そもそも、叩いてる方がどれだけ正しかろうと、そこで「炎上」させることについてのメリットは「デモンストレーション」以上のものはない。だっ

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