李 秉喆(イ・ビョンチョル、1910年2月12日 - 1987年11月19日)は、韓国の実業家。サムスングループを創業した企業家である。号は湖巌(ホアム、 こがん[1]、호암)である。大韓帝国慶尚南道宜寧郡正谷面出身。本貫は慶州李氏[2]。 来歴[編集] 家族は代々貯蓄に熱心で、祖母は1食でも節約して1枚でも多くの布地を作るために機織りに専念。 学校には入学せず、地元の私塾で論語などを学び、11歳で親元を離れて日本語学校に通った。それでも学校の成績は最低クラスであった。 早稲田大学入学後は仕送りで遊蕩生活を送り、体調不良により大学は中退。 大学中退後、26歳まで現代で言うニートのような生活を送っていたが、これではいけないと馬山にて友人2人と1万円ずつ出資し設立して協同精米所の事業を始めるも、これも2年で失敗。その後米の投機に成功するが、さらに後の土地の投機には失敗。1938年3月1日に大邱