まだふりかけも栄養補給の色合いが強かった大正初期に、地元広島で軍向けに作られたふりかけを「旅行の友」として一般向けに発売しました。 当時は旅行に行くのにも食べ物があまりなく、白いご飯に梅干を入れて食べていましたが、旅行に行く人に少しでもご飯を美味しく食べてもらいたいという気持ちから作られ、発売されました。 その後も調味料のお醤油の味を変えてみたり、夏場に肉体労働をする人のためにお塩の量をふやしてみたり、一年中食べれるような努力と試行錯誤をくりかえしながら、時代とともに歩んできました。 もともとは保存食として作られたふりかけも広く一般の家庭に浸透して、こんにちまで食卓の名脇役として愛され続けています。 ▲ 昭和30年以前の旅行の友 ▲ 観音工場外観(昭和35年頃)