タグ

lifeと心理に関するsibaseのブックマーク (6)

  • 『承認』体験が語られることの危うさについて

    岩崎夏海氏の質問記事(http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111019/1318990671)への回答という形で書かれた、小島アジコ氏の801ちゃんへの感謝を綴った記事(http://d.hatena.ne.jp/orangestar/20111020/p)に対しての、人のコメントをまとめました。 関連まとめ: 『承認』エントリーに対しての801_CHANのモヤモヤ http://togetter.com/li/203511

    『承認』体験が語られることの危うさについて
  • http://anond.hatelabo.jp/20091003212043

    これを性的なことを除いて翻訳すると 「他人からの承認によって形成される自己肯定感は、思春期に作られる」ということだ。 中学時代スポーツが得意だった奴がその後の人生でも自信にあふれている理由でもある。 それ以外の期間に承認されても、心のどこかで承認に対して懐疑的になる。 まあでもこの辺は男子オンリーの話かなー。女子はまた違う形っぽい。

    http://anond.hatelabo.jp/20091003212043
  • なんとなく最近不調かな、と思ったら気をつけること

    今までの自分の経験から、気をつけることを書いておきます。不調かな、と思ったら読み返す。 早寝早起きを心がける。 超重要!目が覚めたらカーテンを開けて朝の光を浴びる。可能なら窓を開けたい。 眠くても、二度寝することになっても、とりあえずこれはやる。秋冬になって日照時間が短くなったら特に気をつける。なるべく規則正しい生活にすると、体調もよくなるよ。早起きのほうが大事だから、とりあえず一度は起きる。ギリギリに起きないで、お布団の上でぼーっとできる時間を作る。「おめざ」とか用意しとくといいかも。起きたらとりあえず顔だけ洗う、とりあえず歯だけ磨くとか、ひとつずつする。 そのあとまたベッドに潜ってもいいじゃん。とりあえず動いたことで、後からやる気が出てくることもある。(なんとか物質だっけ?なんかの記事で読んだ)眠れなくても夜は早めに床に入る。(パソコンや携帯やテレビは眠る前は避ける。経験上特にパソコン

    なんとなく最近不調かな、と思ったら気をつけること
  • ドタキャンばかりする人々と,何年でも無遅刻無欠勤を続ける人々 - 諏訪耕平の研究メモ

    なんか最近よくドタキャンをされる。前からそういう傾向はあったが,ある程度責任ある仕事的なことを任されるようになって,よりドタキャンされることのダメージが増した。先日大学の後輩2人と別々に約束をしていたのだが,2人ともに,なんと2回連続でドタキャンされて,「ああ,これは,サボりだな」と感じた。 ドタキャンしたくなる感覚というのはよく分かる。人は,未来の自分はスーパーマンだと思っているもので,今の自分がやりたくないことでも未来の自分は笑顔でできると思っている。だから,果たせるかどうか微妙な約束も平気でする。約束の日時が迫って,どんどん行きたくなくなっている自分に気づく。過去の自分め,遂行できる約束かどうかも判断できないのかと思う。いくつか理由を見繕ってみて,妥当っぽい理由が見つかれば,心は俄然ドタキャンに傾く。理由が見あたらなければ,しぶしぶ出かける。出かけてしまえば意外に平気なものだ。 僕は

    ドタキャンばかりする人々と,何年でも無遅刻無欠勤を続ける人々 - 諏訪耕平の研究メモ
  • マイナスの言葉を使うな。プラスの言葉を使え。ってホント?

    昨日、北九州の勉強会に出席したんですが、受講生の方から面白い話を聞きました。 「お疲れ様」という挨拶の代わりに、「お元気様」と挨拶をしている会社があるそうです。 それも、社員だけでなく、取引先の社員にまで徹底しているとのこと。 「マイナスの言葉を使うな!プラスの言葉を使え。そうすれば成功できる!」 これ、モチベーションの王道です。成功哲学系の、モチベーション系の、自己啓発系の。どれを読んでもそう書いてあります。この企業は「マイナスの言葉を使うな!プラスの言葉を使え」を実践しているんでしょう。 マイナスの言葉。 「もうダメかもしれない。」「疲れた。」「うまくいくわけがない。」「失敗したらどうしよう。」「どうせ・・」 確かに、書くだけで気持ちが落ち込んでしまいます。 マイナスの言葉を話せば気持ちもマイナスになる。言葉には力がある。話した言葉が現実のものとなる。マイナスの言葉を話せば、マイ

  • さびしさの運用について - Mellow My Mind

    「このさびしさをどしたらいいの」ということを延々考えて、人生単位で見てもそれはそれは長い時間を浪費しました。その中でまず気付いたことは「人はさびしいとおかしくなる」ということでした。ひっくり返すと、人がおかしなことやってるときは、だいたいさびしいんだよな。さびしさを動機にして人や自分を裁いても、よけいさびしくなるばかり。なにかを裁くということはなにかを切り捨てることだ。一度切り捨てられたものは時間が止まってしまう。もうそこからは何もうまれないのでした。さびしいのに、いろんなものをどんどん切り捨てて、自分さえも許せなくなって、狭く、小さく、よけいさびしさを募らせるばかり。おかしなことだ。さびしさとは無縁に見える、幸福そうなあの人と、わたしは何が違うんだろう。考えればなにもかも違うように見えたし、でも当のところはどこがどう違うのかよくわからない。ただ、自分がさびしさにふりまわされていることだ

  • 1