2008年7月9日のブックマーク (2件)

  • いじられる側に回りたくないと思ったら、それはいじめ。 - 100字じゃ収まらないので。

    やってることは同じでも、「自分もいじられてもいい」と思ってやってるのと「自分はいじられたくない」と思ってやっているのでは違う。 5人で遊んでいて、そのうち4人が1人をいじって遊び始めたとして、いじってる側の3人は「自分もいじられてもいい」と思っているが、いじってる側の1人は「自分はいじられたくない」と思っていたなら、「自分はいじられたくない」と思いながらいじってる側の1人だけが"いじめてる人”である。 人間、30人も集まれば、必ず1人や2人、卑怯な奴がいる。 「自分はいじられてもいいと思っている」と言って誰かをいじり倒しておきながら、自分はいじらせない。 自分がいじられたとたんに一人炎上して人権侵害だとか騒ぎ出す。 そんなノビーな奴をいじっていけばいじめがなくなるかもしれないね。 ※ノビーとは・・・ 他人にはいろいろと制約を課しておきながら自分だけノビノビと傍若無人に振舞う人のこと。 昨今

    いじられる側に回りたくないと思ったら、それはいじめ。 - 100字じゃ収まらないので。
  • 勝ち組になれなかったこと

    小学生の頃、クラスの中心にいたのは運動のできる子だった。 足の速い子やドッヂボールのうまい子はクラスのヒーローで、人気者だった。 どんくさい自分はそんな子達を羨望のまなざしで眺めながらクラスの隅っこで細々と生活していた。 中学に入って、そんな自分を変えようと運動部に入った。 どんくさいなりに体力もつき、それなりに楽しく過ごした。 しかしクラスの人気者の座は、いつのまにかオシャレな子、可愛いorかっこいい子に移っていて、みんなに囲まれて流行のファッション音楽、芸能人なんかの話をしていた。 高校に入って大学受験が近づいて部活をやめてから、ようやくオシャレに気を使うようになった。 初めて髪を染めてみたり化粧に挑戦してみたりもした。 でももう周りはそんなことはどうでもよくなってきていた。 受験を前にしてみんなの価値観は、勉強ができるかどうか、ただそれだけだった。 国立大や有名私立を受ける人たちが

    勝ち組になれなかったこと
    sigiko
    sigiko 2008/07/09