「今、変えていかなければ日本は駄目になる」そんな危機感を持っていた幕末の政治家たちの名言をまとめてみました。
幕末からざっくり150年。教科書に載っていた偉い人たちが好きだったお店は今でも営業されていたりします。お店の名物とともにご紹介します。 まずは、山岡鉄舟。 幕臣の超重要人物。歴史的な西郷・勝会談の先鞭をつけた業績は計り知れません。 そんな彼が愛したのは、 銀座木村屋總本店のあんぱん。 あんぱん発祥のお店として有名。 当時売り出したばかりのあんぱんを気に入った山岡鉄舟は、明治天皇が花見をする際にこれを献上。明治天皇も気に入ったことから皇室御用達となり、木村屋のあんぱんは人気が爆発することとなります。 ちなみに明治天皇とあんぱんが出会った4月4日は、今でも「あんぱんの日」になっています。 銀座の木村屋總本店は4Fがレストランになっていますが、そこに掛けられている「木村屋」という書は山岡鉄舟直筆なんです。 木村屋のあんぱん、5個入り893円なり。 山岡鉄舟のお気に入りで、もうひとつ。 海苔といえ
授業で習った吉田松陰は、松下村塾を開いた聖人君子のイメージかもしれないですが、とんでもない。彼は相当クレイジーな人間だったんです。 吉田松陰はこの人。 多少厳しそうな眼差しをしつつも、偉人らしく穏やかに見えますが、この人の人生は無茶の連続でした。 たとえば、21歳の時、松陰は親友と東北旅行を計画します。しかし、自藩の長州藩に申請した通行手形がなかなかもらえず、友と約束していた旅行日に間に合いそうにありません。 そこで彼はどうしたか? しょうがないので、松陰は死罪覚悟で脱藩します。 いくら目的が東北の海防調査という意義深いものとはいえ…。 旅行の約束をした親友・宮部鼎蔵(みやべていぞう)も正直ドン引きしたと思います。 ちなみにこの方、後に池田屋事件で新選組に襲われ自害します。 さて。吉田松陰 23歳の時、黒船が来航しました。 当時は鎖国まっただ中。武士も農民も、畏敬と好奇の目でアメリカ艦隊を
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