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2010年6月2日のブックマーク (9件)

  • 74. 人より拡声器に似ている人は始皇帝にも似ている。:日経ビジネスオンライン

    (a)は(b)(c)から見ると、 「作品を特定の方向からしか見ることができない唐変木の野暮天」 です。この(b)(c)が長いあいだ一般的な文学論の立場でした。 ところが1980年代以降日でもさかんになったジェンダー論の立場からすれば、吉行淳之介の小説などは、たとえ市民社会のお堅い性道徳から逸脱していても、他方で男尊女卑・家父長制といった近代の「見えないしきたり」からは逸脱せず、むしろそれらにのうのうと守られつつそれらを再生産しているわけで、むしろ逸脱が足りない、という話になる。(b)(c)だって 「作品を特定の方向からしか見ることができない唐変木の野暮天」 じゃないか、というわけです。まったくもってそのとおりだ。 こういう見かたが可能になって、私たちはかなり立体的に、自分の頭を使って、さまざまなコンテンツを見ることができるようになりました。言い換えれば、在来文学論の(b)(c)が、コンテ

    74. 人より拡声器に似ている人は始皇帝にも似ている。:日経ビジネスオンライン
    simabuta
    simabuta 2010/06/02
    『むしろそれらにのうのうと守られつつそれらを再生産しているわけで、むしろ逸脱が足りない、という話になる。』
  • 73. 「悪い表現」をめぐる4つの態度。:日経ビジネスオンライン

    日直のボウシータです。4月病文学入門の3回目、文学その他の表現が道義的に「いい」とか「悪い」とかいうときに、人はどういう基準で話をしているのだろう、という話の続きです。 一例として挙げると、第66回・第67回に取り上げた太宰治など、「人としてダメ」の典型だ。 を含む周囲の女たちにつぎつぎと甘え、その全員を裏切り、あちこちに子どもまで作り、ヘタレの癖して大言壮語、親のすねをかじり税金を払わず、子分にいい顔したくて借金、心中・自殺を何度も図り、薬に頼り酒に溺れ、文字どおり人間失格。 作品にもそういうネタがいっぱい出てくる。自分の浮気・嘘・借金・依存症・自殺未遂・中二病をひけらかすような表現もある。 ということで、もっとも素朴な反応としては、(a)「道徳的に逸脱した言動や思考をひけらかす作品は、批判されるべき悪い作品である」となりますね。これを「道徳主義」としておきます。 では彼の書いた文学作

    73. 「悪い表現」をめぐる4つの態度。:日経ビジネスオンライン
    simabuta
    simabuta 2010/06/02
    『在来の(b)(c)系文学論だって、文豪たちの作品を特定の方向からしか見ることができない唐変木の野暮天である」』
  • 72. カフェー左翼の三大モテ要素は信仰・正義・ロックンロール (4ページ目):日経ビジネスオンライン

    simabuta
    simabuta 2010/06/02
    『なにしろ「自分が救われたい」(信仰)、「政治的に正しくありたい」(正義)、「反抗したい」(ロックンロール)という気持ちを炸裂させるロジックを持ってますからね、生き生きしてないはずがない。』
  • 72. カフェー左翼の三大モテ要素は信仰・正義・ロックンロール:日経ビジネスオンライン

    日直のボウシータです。「4月病文学入門2010」、第2回です。 前回書いたとおり、19世紀の小説(とくに市民社会が早くから高度に発達したフランスや英国)の小説では、不道徳で悲惨でスキャンダラスでショッキングなことを取り上げるようになる(ただしヴィクトリア期の英国にはいっぽうで性表現への強い規制の意識があり、露骨な性表現を含む小説は地下出版だったそうだ)。つまり、現在の小説の直接のご先祖さまが最初に現れたのが、19世紀ヨーロッパだったといえよう。 そんな小説は、良識ある人々から見れば「嘆かわしい」「けしからん」=「悪い」ものであり、他方、小説ファンからすればこれは「人間性の解放」「社会告発」=「いい」もの、ということになるわけだ。 一篇の小説をめぐって、いっぽうには「けしからん」「くだらん」「不快である」と言って怒ったり無視したりする人たちがいる。他方にはその人たちを「この小説にたいしてそん

    72. カフェー左翼の三大モテ要素は信仰・正義・ロックンロール:日経ビジネスオンライン
    simabuta
    simabuta 2010/06/02
    『そういえば宮原昭夫の「石のニンフ達」(『宮原昭夫小説選』所収)にも、1960年代の左翼大学生が政治思想の勉強会でオルグした女子高生をナンパする話が出てくる。』
  • 28. 感動することによって、人は孤独になっていく。:日経ビジネスオンライン

    私は純文学だって、〈「面白く」なくても読み通さなければならない〉などという状況はご免である。それに、〈直ちに投げ出しても、それでどうこうはない〉かどうかを、どうやって判定しているのか、結局村上氏の文ではわからない。 前々回から、「コンテンツのサプリメント化」について書いてきたとおり、サプリメント化したコンテンツは、手持ちの「おもしろいのツボ」に応えてくれるが、そのためにはコンテンツが言うままのルールに従って作品を楽しむことが強制される。 いっぽうサプリメント化していないコンテンツは逆に、こちらに新規のツボを開発してくれるが、それを楽しめる人は、コンテンツが言うままのルールで作品を楽しむことを強制されるのが厭だという人だけである。 きわめて単純化した大雑把な話だけれど、純文学はサプリメント化の度合いが低い傾向がある、という話なのだ。 *   *   * 文学作品を読んで、人生についてなにやら

    28. 感動することによって、人は孤独になっていく。:日経ビジネスオンライン
    simabuta
    simabuta 2010/06/02
    わかるようでわからなかった。サプリメント化してるとしてないのしきい値は全く持って不明。結局どちらも同じようにしかみえない。結局「メジャー」がすきか「マイナー」がすきかなどの好みの話では?
  • asahi.com(朝日新聞社):内々定取り消し、違法と会社側に賠償命令 福岡地裁 - 社会

    内定式直前に内々定を取り消したのは違法だとして、20代の元男子大学生と元女子大学生の2人が福岡市の不動産会社「コーセーアールイー」に計約495万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が2日、福岡地裁であった。岩木宰(おさむ)裁判長は「元学生が被った損害について賠償責任がある」として、同社に慰謝料など計195万円の支払いを命じた。  2人の代理人の光永享央弁護士によると、内々定の取り消しを違法として賠償を命じた民事訴訟判決は全国初という。  判決によると、元女子学生は2008年5月、元男子学生は同年7月、それぞれ同社から内々定を得た。だが、2人には内定式2日前に「金融危機や原油高騰など複合的要因」を理由に内々定を取り消すとの書面が届き、採用されなかった。  岩木裁判長は「内々定取り消しは労働契約締結過程における信義則に反する」として違法性を指摘した。ただ、原告側の「内々定で労働契約が成立する」という

    simabuta
    simabuta 2010/06/02
    一番大事な「内定式の月日」が書いていない。これでは175万円が妥当かどうかわからない。
  • 栗田 亘 - 新聞案内人 :新s あらたにす(日経・朝日・読売)

    風邪と自殺と沖縄と(1/3) 五月の連休前後からずっと、風邪が流行っているらしい。  知人の大学教授によると「教室中、咳だらけ」だそうだし、友人の開業医も「このところ風邪の患者が多い」と言っていた。私も風邪でせっかくの連休をフイにした。 それなのに、新聞には風邪のニュースが載らない。テレビも報じない。とすると、風邪の流行は私の周辺に限った現象なのだろうか。 作家の山口瞳に同じ思いのエッセーがある。自分の体調がよろしくない。微熱が続き、楽しみにしていた旧制中学の同期会にも出られなかった。そう前置きして、 〈私の知っている人だけで風邪っぴきは十人を下らない。これはもう社会現象だと言っていいと思うが、新聞は少しも騒がない。新聞社はどこそこの小学校で学級閉鎖があったとか何とかにならないと教えてくれない〉 指摘されればその通りだと、現役記者の頃を思い出して私はうなだれる。 風邪が流行ってい

  • http://blog-imgs-11.fc2.com/n/e/w/news4u/ne06.jpg

    simabuta
    simabuta 2010/06/02
    タカヒコ
  • マンガがあればいーのだ。 : 【花沢健吾特集・前編】ルサンチマンをもう一度読み解く!

    07<< 12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>09 この物語の当の結末は、最終巻に秘められていた。 スピリッツで2004~05年にかけて連載されていた「ルサンチマン」 アンリアルと言われる世界で繰り広げられたドラマは多くの人に衝撃を与え、 当ブログでも最終回の時に大きく取り上げて特集を行った。 <参考> →その世界は現実よりも現実なのだ「ルサンチマン」 花沢 健吾 スピリッツ誌で最終回を読み終えて、 その一月後に発売された最終巻。 その表紙を見た時、俺は感動が止まらなかった。奮えが止まらなかった。 月子が弁当屋の店員として働いてる姿――― それはまさにこの「ルサンチマン」という物語の中で、 たくろーと月子という「二人の主人公の結末」がそこに描かれていたからだ。 スピリッツ誌では二人が最後弁当屋で出会う所で物語は

    simabuta
    simabuta 2010/06/02
    『 人は誰もがもがき苦しみながら生きてっているのだから。 恋愛や、仕事や、人間関係・・ 色々苦しみながらも、選択していく。 それが間違ってるのか、正しいのか。 その答えが何年経っても分からない事だってある』