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発見と身体的に関するsimadoufuのブックマーク (2)

  • Natural Intelligence──計算プロセスとしての自然現象:鈴木健の天命反転生活日記 - CNET Japan

    こんにちは。今日からCNETブログをはじめる鈴木健です。 去年の12月から、ぼくは三鷹天命反転住宅というところに住みはじめました。この住宅の床は、そこら中がでこぼこしていて平らな場所がほとんどなく、Study Roomと呼ばれる完全に球の部屋があったりします。設計者の荒川修作は、この部屋に暮らすことで、新たな身体感覚や認知構造を生み出していくことを狙っているのです。今朝起きてトイレにいった後、このでこぼこの床を歩くと、体が左側に傾いてまっすぐ歩けません。以前脳に磁場をあてながら歩いたときの経験に似ています。この現象に「あたかも重力」という名前をつけておきました。 入居以来、千客万来で毎週のように人が訪ねてきます。電車でのアクセスは必ずしもよくありません。三鷹、武蔵境、あるいは調布からバスで10分ほどかかります。遠路はるばる訪れてくる、コンピュータの専門家だったり、アーティストだったり、古武

    simadoufu
    simadoufu 2007/05/31
    不変項、感覚と知覚の違い
  • 茂木健一郎 クオリア日記: インテリジェンス

    インターネットが出現した 後の世界で最も大切なものの一つは、 「偶有性」である。 半ば予想できるが、半ば偶然で 予期できないもの。 「大数の法則」で押さえ込まれる べきノイズではなく、 むしろ創造的に人生を 送るために不可欠の糧として利用すること。 明治神宮の森を抜けて早足で 歩いた。 雨上がりの空から降ってくる 太陽が、木々の切れ目から地に落ちて、 神々しい回廊をつくっている。 光の粒を浴びながら思う。 「私」そのものが偶有的な存在である。 偶有的な存在でなければならない。 そうでなければ、この世をいきいきと 生きることはできない。 居宣長や小林秀雄の言う 「もののあはれ」は、つまりは 内なる偶有性に自分を託すという ことでろう。 もちろん、その過程では、 精神の激動があり、 感情の荒波があり、 浮き沈みがある。 そのような内なる偶有性の海に うまく航海して行くことができるということが

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