禅の極意を文字簡単にあらわせば誤解を生みます。というより簡単に示せるようものは極意でも何でもありません。しかし、あえていえば、「禅」とは物事を正しく認識し、心を整える「行」ですから、宗門では「只管打坐」であり、その心は『威儀即仏法・作法是宗旨』(いいぎそくぶっぽう さほうこれしゅうし)となります。 世間では「形よりも心が大事」という風潮がありますが、人間の形というものは微妙です。「このやろう!」と言えば怒りの心持ちになり、合掌して「南無釈迦牟尼仏」と唱えれば仏心が芽生えます。仏道の作法というものは、坐禅の時には坐禅堂に入るにはどちらの足から入れ、坐り方はどう、息の整え方はどう、目線はどう、手の置き所はどうというキッチリとした決まりがあります。食事の時にもなかなか厳しい作法があります。頭で納得のいく仏法を習おうと思ってきたのに作法ばかりをたたきこまれると考えがちですが、実はこの威儀や作法が普