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ブックマーク / fujipon.hatenadiary.com (5)

  • 自分の運の良さを「正しさ」だと勘違いしている人たちへ - 琥珀色の戯言

    先週の金曜日、飲み会帰りのタクシーで60歳くらいの運転手さんと、熊の3歳の女の子が20歳の大学生に命を奪われた事件の話になった。 「あれは親にも責任がありますよ。まだ3歳なんだから、親も目を離したらいかんですよ。トイレに行かせるのだって、ちゃんと遠くからでも見ておかないと」 大概の場合、僕はこういうときに「そうですねえ」とか曖昧に頷いてやり過ごしてしまうのだけれど、お酒が入っていたこともあり、「そんなふうに常に見張っておけっていうのはおかしいし、どんな親にだって、『ちょっと油断してしまう瞬間』はあると思います。それで責めるのはあんまりでしょう」と反論して、車内はやや気まずい空気になってしまった。 「人生の先輩」として、「そういうときでも、ちゃんと見ているのが親ってもんでしょう?」というのは、確かに「正論」のようにも思えるけれど、僕はそこまで完璧に自分の子どもを見張っておくことができるだろ

    自分の運の良さを「正しさ」だと勘違いしている人たちへ - 琥珀色の戯言
  • 「自殺や過労死するくらいなら仕事辞めろ」 - 琥珀色の戯言

    参考リンク:過労死や自殺するくらいなら仕事辞めろよ こればかりは社畜の考えが分からん(アルファルファモザイク) 「自殺や過労死するくらいなら仕事辞めろ」 僕もそう思います。 ときにこの参考リンクに書かれているような「酷い職場」なら。 もし彼が、この支社長に「そのやり方には、ついていけません」と、ひとこと言えれば、少しは変わっていたのだろうか? でも、僕はこんなことも考えてしまうのです。 この支社長自身は、彼に特別に目をかけていて「使える社員」として鍛えていたつもりなのかもしれない、と。 もちろん、支社長の彼への扱いそのものは間違っているのですが、もし、彼がこの仕打ちに耐え抜いて出世すれば「若いころに支社長に鍛えられたおかげで、ここまで来ることができました」と言った可能性もあります。 「もう少しがんばれ」と「がんばりすぎるな」の境界はどこにあるのか? 僕には、それがよくわからないんですよ。

    「自殺や過労死するくらいなら仕事辞めろ」 - 琥珀色の戯言
  • 昨日、子供が生まれた。 - 琥珀色の戯言

    昨日、子供が生まれた。 妊娠をはじめて聞いたときには、正直「あと1年くらい(子供ができるのが)遅かったらよかったのに……」と思ったのだ。 たぶん、子供ができなかったら、ずっと同じことを思い続けていたのだろうけど。 初産で予定日まであと1か月近くあったので、そろそろ名前の候補でも挙げておかなくっちゃな、と考えていたところに、いきなり「破水した」との連絡があり、仕事を終えて産科の病院に着いたときには、もう子供は生まれていた。 保育器に入っているのを外から覗くだけ、というのを予想していたのだが、小さな小さな赤ちゃんは、母親の横で寝るでも起きるでもなく、右手で何かを握ろうとしたり、半分泣きかけたところで考え直したかのように泣くのをやめて半分だけ目を開けたりしていた。 正直、僕は自分に子供ができるのが怖かった。 このエントリで以前書いたように、僕は自分の親、とくに父親の愛情をうまく受け止め、解釈

    昨日、子供が生まれた。 - 琥珀色の戯言
  • 「産めない」と「産まない」の違い - 琥珀色の戯言

    子宮が悪くなって考えたこと(by はてな匿名ダイアリー) このエントリに対して、何かをアドバイスしたり、自分の意見を述べる、という心境に僕はなれません。でも、なんというか、多くの人の目に触れてほしい文章だと思っています。 産めないと産まないって違うんだなって。 自分でもびっくりだよ。 僕は、ネット上などで、おそらく高校生〜20代前半くらいの男が、「非モテ」、「もう結婚なんてしない」「子供なんていらない」なんて自虐的に書いているのを読むと、正直「ああ、お前らの『非モテ』には、リアリティの欠片もねえよ」と思うのです。 いや、正直僕もそのくらいの年齢のときは(というか今でも)全然モテませんでしたし、「もう一生女性とは縁が無いんじゃないか」「結婚なんてしなくていいや」と真剣に考えていたんですけどね。 でもね、人って当に変わっていくものです。別に「モテるようになった」わけじゃないんだけど、僕の場合

    「産めない」と「産まない」の違い - 琥珀色の戯言
    simsons
    simsons 2008/01/21
    生きていて最も怖いことは「何かができないこと」ではなくて「何かができる可能性が失われていくこと」年を取ったりある種の経験を積むことによって人間の感じ方や考え方というのは変わっていかざるをえない面がある
  • 「痛みに共感する」ということ - 琥珀色の戯言

    痛みを共感するのに痛みを経験する必要はない、とは思う- Say::So? 「経験者は語るな経験者以外は語るな」と聞くことがあるけれども、それをいい始めると当事者以外は語れなくなる。全く同じ感覚を共有することはないだろう。経験することによって想像がしやすくなるというのはあるだろうが、あくまでも想像であって実体験ではない。であるならば、非経験者が想像によってその痛みを知ることができるのであれば、経験者よりも具体的にその痛みを感じ何をかを思うこともありうるのではないか。 僕の経験から語らせてもらうと、ある物事に対して、自分が「経験者」であることを理由に訳知り顔で「共感」を押し付けてくる人というのは、けっこう不快な場合が多かったです。 「俺の親父が死んだときには……」「私が恋人と別れたときには……」というような話をはじめる人というのは、「共感」したいわけじゃなくて、「自分を主張したい」だけなんです

    「痛みに共感する」ということ - 琥珀色の戯言
    simsons
    simsons 2007/11/06
    ただただ受け入れるだけで、それでいいってことなんでしょうなぁ。
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