タグ

社会と生き方に関するsin013のブックマーク (3)

  • ごめんなさい

    最近、私は人生の奈落に落ちた。 経済的に失敗し、自分の生き方の間違いを認めざるを得なくなった。 どん底に落ちて、自分が見下してきた仕事につかざるを得なくなった。 こういう境遇に落ちぶれたのは、自分の判断ミスの結果なのは確かだ。 誰かほかの人間なり、社会現象を責めることはできなかった。 はじめは当にみじめな気分だった。 だが、この仕事を続けることで、いままで見えてこなかったものが見えてきた。 この世界のどん底で、人々がどんな気持ちで生きているのか。 そこでいままでの私がどれほど思い上がっていたか思い知らされた。 私は、自分より恵まれた境遇の人たちに嫉妬した。 自分の中に潜む暗いじめじめした感情に気が付かずにはいられなかった。 だが、これは誰もが持っている感情なのだ。 人は誰でも弱いのだ。 自分より恵まれた人間を嫉妬し、憎み、引きずりおろそうとする。 いままでの思い上がっていた自分は、こうい

    ごめんなさい
  • 健康な老人と“かわいそう”な若者 - デマこい!

    不定愁訴というものがある。 とくに老人に多いのだが、なんとなく調子が悪い、体がだるい――と訴えて病院を受診する。それじゃあ検査をしてみましょうということになるのだけれど、疾患が見つからない。いたって健康だという結果になってしまう。医者も患者も困惑するばかりだ。 誰だって歳を取ればカラダが衰える。歯や髪が抜けて、膝や腰がシクシクと痛み、若いころのような無理はできなくなる。しかし病気が見つからない以上、どんなに調子が悪くても「健康」という診断を下すしかない。 「老人の健康」には、こういう矛盾――というかなんというか、判断に迷うところがある。歳を取ること自体が不健康なのだ、と言ってしまえばそれまでだけど、No one lives forever。ノスフェラトゥは実在しない。 健康な老人は多い。けれど彼らは、風邪を引いた高校生よりも体力で劣る。 「健康な老人」という言葉は、一見矛盾する二つの要素を

  • 「楽しい!」を仕事にしよう。/知的労働の急激な陳腐化とゲーム化する「仕事」 - デマこい!

    就活デモの悲痛さは、参加者が既存の「勤労」に疑問を持ちながらも、「雇われる」という生き方のロールモデルしか持っていないところにある。 「大学でしっかり勉強してもいいだろう?」 「新卒一括じゃなくてもいいだろう!?」 ――と、口にしながら、二言目には「だから雇ってくれ」と言うしかない。学生たちの立場はあまりにも弱く、彼らのシュプレヒコールは虐待される子犬の悲鳴のようだ。噛みつく牙を彼らは持っていない。 就活生に限らず、いまの私たちは「仕事」の意味を問い直されている。まともに就職をしても、サービス残業まみれで有給休暇もろくに取れない人生が待っているだけだ。内定の取れない学生は、しばしば「大学院進学は最後の手段」だと言う。しかしマスターに進めば就業可能な職種は狭まるし、ポスドクの自殺率はおそろしく高い。それを考えると、進学は地獄への片道切符のように見えてくる。 多くの学生にとって「就職」こそが最

    「楽しい!」を仕事にしよう。/知的労働の急激な陳腐化とゲーム化する「仕事」 - デマこい!
  • 1