タグ

ラカンに関するsin16wakiのブックマーク (1)

  • なぜラカンはウィトゲンシュタインを越えていくのか ラカン入門 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「社会の秩序はいかに可能か」 哲学の問いに「社会の秩序はいかに可能か」というものがあります。ある規則が正しいとすると、その規則の正しさはなにによって証明されるのか。それが証明されても、ではその規則の正しさを証明した規則の正しさはなにによって証明されるのか・・・と無限後退してしまう。すなわち決定的に正しさを証明する規則は存在しない。 たとえば数学でも基礎となるのは公理という前提です。これを、ウィトゲンシュタイン(クリプキ)は「規則のパラドクス」と言います。そしてラカンが「大文字の他者の大文字の他者は存在しない」というのはこのことです。 ウィトゲンシュタインは規則が基礎付けされていなくても社会秩序が成立しているという事実そのものを重視し、「言語ゲーム」と名づけて受け入れたの対して、ラカンはこの問題を精神的な症候へとつなげます。精神的な病の患者は社会秩序が基礎付けされていないということに不安を覚

    なぜラカンはウィトゲンシュタインを越えていくのか ラカン入門 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • 1