ブックマーク / note.com/shida_huit (1)

  • 隠れた権力としての「サイゼ」vs架空の権威としての「大学教授」|しだゆい|note

    サイゼリアの注文方式について慨嘆したツイートが異様な(私の個人的な感覚からすると異様としか言いようがない)炎上を被ったさまを眺めるに、当の注文方式の是非などはじめからどうでもよく、ただ「大学教授」が「サイゼ」に苦言を呈したことそれ自体が漠然かつ強烈な反感を買っているのだということは割と早い段階から明白だったように思う(効率性の観点から、またある種の認知特性に対する合理的配慮としてその注文方式を擁護するツイートは多々あったが、かれらが気でそこに正義を認めたり、何らか熱い思い入れを持っているようには見えなかった)。ここで「サイゼ」と「大学教授」をそれぞれ「権力」と「権威」というより一般的な語彙に置き換えて考えてみよう。この置き換えには、ただし若干の註釈が必要である。 まず当のツイートに突っかかっていった人たちはおそらく「サイゼ」を「権力」だと必ずしも自覚的に認めているわけではない。むしろかれ

    隠れた権力としての「サイゼ」vs架空の権威としての「大学教授」|しだゆい|note
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    since20200516 2022/07/08
    本件は高尚な大喜利お題と捉えた反応とルサンチマン的反応も混ざってた気がする。個人的には「日本もまだこんなイシューでこれだけ盛り上がる程には豊かさや余裕がある」と感じた(大丈夫かはわからない)
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