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2014年2月17日のブックマーク (2件)

  • 社会党議員による日本人慰安婦救済のための対応 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    デマ記事を書いて損害賠償裁判を起された敗訴した後も安倍首相と癒着しているが故に安心してデマを繰り返している阿比留瑠比記者が、また「なぜ日人慰安婦には無関心なのか 「うっ」言葉に詰まった村山氏」などとゲスの妄言を吐いています。 何度か取り上げた内容ですが、社会党議員が日人慰安婦に対してどのように対応したのか、を1968年の国会議事録で見てみましょう。 第58回国会 衆議院社会労働委員会 1968年4月26日 ○後藤委員*1 大臣のほうが、時間が十分ないそうでございますので、まず第一番にお尋ねいたしたいと思いますのは、大東亜戦争当時、第一線なり、いわゆる戦場へ慰安婦がかなり派遣されておったと思うのです。私も内々これらの派遣されたいきさつにつきまして、できるだけ、どういうふうな計画でどういうふうにやられたかを調べようと、かなり苦心をしたわけでございますが、聞くところによりますと、無給軍属とい

    社会党議員による日本人慰安婦救済のための対応 - 誰かの妄想・はてなブログ版
  • 江戸時代の公害、環境破壊と人口停滞 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    江戸時代はよく、エコでサスティナブルな社会システムが整備されていたという例として語られるが、一方で急激な経済発展の代償として環境破壊と公害が顕在化しはじめた時代でもあった。 1)江戸時代の環境破壊安土桃山時代から江戸時代前期にかけては全国で都市、街道や橋、用水などの建設ラッシュによって木材需要が高まり一七世紀から一八世紀初頭にかけて日列島全体で森林伐採が行われた。 正保二年(一六四五)、幕府は諸国に対して山林の濫伐を禁じ、伐採の禁止地区の指定や利用制限などを取り決め、寛文六年(一六六六)、貞享元年(一六八四)の二度に渡って森林の乱開発が災害の要因になっているとして特に水害が頻発していた畿内を中心に濫伐の禁止や苗木の植え立てを命じる法令を出している。 このような森林資源の枯渇は江戸時代後半になると徐々に回復していったが、その要因として鬼頭宏「文明としての江戸システム」ではコンラッド・タット