西田幾多郎、47歳。三木清、20歳。 1917年6月26日―。西田幾多郎は日記帳に「夜三木清来る」と書き込んだ。例年どおり小型の博文館日記である。以後、西田の日記には最期まで「三木来る」「三木来訪」「三木へ手紙」などの文字が頻出しつづけることになる。 ただ、このときばかりはフルネームでの記入だ。というのも、これが両者の初対面だったからである。西田幾多郎、47歳。三木清、20歳。 その年の夏、三木は第一高等学校を卒業する。京都は洛北、田中村中河原にある西田邸の門をたたいたのはその直前のこと。西田幾多郎に憧れて京都帝国大学に入学することが決まっており、一高時代の恩師である速水滉(心理学者)の紹介状をちゃんともって来はしたものの、どう切りだしたものかずいぶん当惑しながら待っているところに出てきた西田はすぐにこう声をかけた。 「君のことはこの春東京へ行った時速水君からきいて知っている」(「西田先生
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