毎回バカみたいにCD買って応募して、クソみたいな握手会に並んで時間も金も人生も浪費してる 見ていられないのでやめさせたいのだが、「本人が楽しんでれば良いのでは」「他人の趣味にケチを付けるもんではない」みたいなありがちな反論を論破できる理論武装がまだ自分の中ででき上がっていない 上記の反論は正論であると思う一方で、あまりにあんまりな場合は限度を超える、客観的にはどう見ても搾取され洗脳されてると思うんだけど何かいい方法ないですか
この件. https://togetter.com/li/1274544 査読論文持ってないひとが責められるのはまあわかる(査読なし論文でも優れた論文というのは有り得るし,そういうのも業績として認められるべきではあろうが,このご時世ではまあ査読論文は持っといた方がいいよな……).でも英語論文を持ってないことが責められる理由になるのは本当に理解できない. 何度も繰り返すけど,フランスでもドイツでもロシアでもスペインでも,そしてたぶん中国や韓国でも,文系の研究業績の大半は自国語だから! 文系の研究業績が自国語で積み上げられるのは,世界標準だから! (インドやサハラ以南のアフリカ諸国のように長いこと西欧の植民地になってたり言語の数が多すぎたりして大学教育を英語でやっている国や,ツバルやナウルみたいに小さすぎて自国語のアカデミアが成立しない国を除く.そういう国がうらやましいと言うならもう何も言えな
昔から気をつけてることなのだけど、ある程度、ブログ、とくに技術テーマ以外の記事を書く頻度はコントロールしよう、と思っていた。具体的には、1ヶ月の間に2, 3回ホッテントリなどに入ることは問題ないが、2, 3ヶ月連続で耳目を引き続けるのは、避けた方がいいのではないか。とくに落ち着いて暮らしたいなら。 中長期的にあまりに注目を引き過ぎると、勝手に記事間の文脈を悪意を持って補完されたり、固定のウォッチ対象にされてしまったりすることがある。粘着なアンチは聞く耳を持たないので無視するに限るが、人間何に反感を持つかわからないもので、自分がコントロール出来ない要素をたくさん抱えると、書くことそのものが億劫になっていく。日常生活にも影響が出る。少なくとも僕は、自分が書いたものが自分のコントロール下から外れていないか、怖くなってエゴサーチばっかりしてしまう。 「悪意を持ったコメント」に対抗する方法は難しく、
昔、私の父シロイ・ネコヒコ(仮名)の職場にはドウドウさん(仮名)という二歳年上の先輩がいました。 二人はたいそう仲が良く、ドウドウさんの奥さんが出産なさったときは、独身だったネコヒコが名付け親になるよう頼まれたほどでした。 ネコヒコが母と出会ったときは、 「シロイの家にはティーセットがないだろう。彼女が家に来てくれたとしても、そんなんじゃ振られちまうぜ」 と言ってドウドウさんは高級なティーセットを揃え、ネコヒコのもとに持ってきてくれました。 私の故郷はたいそうな田舎です。ネット通販もなかった時代に珍しくて高級なティーセットを手に入れるのは、きっと大変なことだったでしょうに。 ドウドウさんはニコニコ笑いながら当然のように、手を尽くしてくれたのです。 幼い頃の私は、ドウドウさんにたいそう懐いていました。 私は彼を「じいちゃん」と呼んでおり、その都度両親は慌てて謝り、 「その呼び方はやめなさい」
A「僕ね高校生の頃に叶えられなかった夢があるんですよ」 B「聞かせてください」 A「夜中の学校に忍び込みたかったなあーって」 B「いやそれリーフビジュアルノベル第一弾雫やないか!」 A「は? お前、いきなりなに成人向けゲームのタイトルを大声で言っとんねん」 B「夜中の学校に忍び込むなんて、リーフビジュアルノベル第一弾雫以外に考えられへんわ」 A「他にもあるやろ、終ノ空とか」 B「パクリや!」 A「パクリかパクリじゃないかで言ったら雫もパクリやろが!」 B「はああああ? オマージュでリスペクトじゃあ!!!!」 A「うっさいねん! うっさいねん! 大きな声で古いゲームの擁護をすな!」 B「だいたい、そんな夢お前が一歩踏み出さなかっただけやろ」 A「まあ、そうかもしれんな」 B「その点、俺の叶えられなかった夢は本当に叶えられへんかったんや」 A「聞かせてーな」 B「どんなものもすり抜ける薬を作り
最高の同人誌を作ってくれていた神がジャンル移動した。 理由は簡単、次のジャンルの方が「ここにいて、ここで本を描いて欲しい」と言われたからだという。 私はずっとロム専だったけれど、神の描く自カプの話がとても好きで、どれもツボで、一冊目からずっと買っていた。 二冊目か三冊目の本を出したときに感想のお手紙をだして以降、新刊がでるたびに感想の手紙を渡していた。 私の感想を神が本当の意味でどう思っていたかは知らないが、毎回手紙を渡すと嬉しそうに笑ってお礼を伝えてくれるのがとても嬉しかった。 私は神の作品はもちろん神自身のそんな対応がとても好きだったのだ。 そんな風に神自身の人柄が好きだったのでもちろんツイッターをフォローしていた。 神が自カプの同人誌をだす少し前、ウェブで活動し始めてからそのアカウントを消すまでの数年間私はフォローし続けていた。 「この本が最後のAB(自カプ)本です」そういって新刊サ
さっき途中であげちゃって消したので書き直した。だから文章違ってると思うけど言いたいことは同じ。 BL界の片隅で生息してる。好きな作家がいて、あんなふうに書きたいと思った。 最近ちょっと放置しといたら自分らの存在も抹殺されそうな気配がするので書いておく。 BL研究の偉い人が「周りに配慮することは作品の質に役立つ」みたいなとんでもない発言があってこれは黙ってたらまずいと思った。 そもそも、クリエーターの作品を描きたい、作りたいという強い動機がどんなものか全くわかってない。 BL作家だって ある一定の人たちが毛嫌いする男のオタク絵師と何にも変わらない。 自分の見たいエロを自分の好きなように書きたい。 自分の好きな体を好きなように想像で作り上げたい。 自分の好きな話を作って好きなように登場人物を動かしたい。 どこまでいっても自分の欲望なんだよ。自分が描きたいと思うものを自分が納得いくレベルで描きた
いやこれマジで本当なの? 千田先生一人の放言とかじゃなくて? 社会学者さん達がちゃんと「この人(この大学)だけの問題」とか「社会学は査読論文以外の検証システムが構築されてる」とかツイートしてくれたら、まとめにもキチンと追加するのでマジで意見求む。 意見求めた結果いろいろな人が有益な呟きしてくれたので追記。2ページ目まで読んで欲しい所。
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