siunnのブックマーク (36)

  • 象徴的な日という問題、節目節目の辛さ | ブログ運営のためのブログ運営

    すでに書いたんだけど、もはやクリスマスって、意味がないと思うんです。 恋人がいるような人は、一年中いる。 クリスマスだけ恋人と接するなんて話じゃない。 同じことはバレンタインデーにも言える。 コクられてる人間はいつでもコクられてるわけだよね。 それが如実に出るのがバレンタインデーなんですよ。 一年中やってることだけど、バレンタインデーの日に、そういう話題がクローズアップされる。 コクられない人にとって重いのがバレンタインデーなんだよね。 モテる人間は一年中モテるから。 もしくはお正月もそうだと思うんです。 天涯孤独な人がいるとする。 こういう人は普段から家族がいないわけですよ。 で、正月だと、独り身の辛さをなおさら感じるかもしれない。 正月になるといきなり唐突に独り身になるわけじゃなくて、普段から天涯孤独でも、正月だと一人の自分のわびしさを突きつけられる。 つまり記念日的なものって、人を不

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    siunn 2012/03/05
    変に節目を意識しなければいのか、そうだな!
  • 権力ファンタジーと位階秩序、もしくは父親面 | ブログ運営のためのブログ運営

    このブログの読者はクルクルパーが多いので、難しめの記述をすると誰も読まない。 だが、誰も読まないというのは、ある意味書きやすいと思い直して書くことにする。 権力というのは、ファンタジーである。 たとえば学校という場で、160センチの人間にとって170センチの人間は支配者かもしれない。 なぜなら<強い>からである。 この強さはファンタジーだと思うんだよね。 だって、この170センチの生徒が実際どれだけのものかと考えたら普通の人でしょ。 力の差異というか、身長が10センチ違えば無敵とか、そういうものを信仰する力の問題ですよ。 つまり、当に抗いがたい圧倒的な力というよりは、かなりの部分がファンタジーである。 支配というのは、父親のアナロジーで行われてきた。 皇帝が皇帝であるのは、父親だからなのである。 この場合の父とは、簡単に言えば、<父親面>である。 父親でもないのに父親のフリをするのだから

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    siunn 2012/03/05
    『それなりの背景』というのは誰かから支配されないでも生きていけるというものかな…
  • 「みんなが助かる方法」「自分だけが助かる方法」 | ブログ運営のためのブログ運営

    知的誠実さなんていらない。 そんなものが役に立ったことはないし、持ってない方が、その場その場で気楽なことを言える。 とはいえ、僕らが読者として閲覧する場合、相手がどれだけ知的誠実さを持っているか見極めることは重要だ。 相手に知的誠実さの欠片もないとして、僕らがそれを意識することは必要である。 たとえば100人いて60人しか椅子に座れないとする。 団塊世代なら高度経済成長の勢いで椅子の数を増やすだろう。 団塊ジュニア世代なら、超個人プレーで自分だけは座ろうとする。 現代の人余りの世界に生きるわれわれにとって、超個人プレーの方が正しい。 座れない人間のことなんて知ったことではない。 超個人プレーで俺様の椅子だけ確保するのがサクセスへの近道だ。 とはいえ、そういう意見を拝聴する場合、超個人プレー主義者は、座れない40人をゴミ扱いしていることを認識しなければならない。 知的誠実さがあるとしたら、「

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    siunn 2012/03/04
  • wikipediaが無い時代にガチオタをやれた「ちゆ12歳」 | ブログ運営のためのブログ運営

    厳密に言うとwikipediaの日語版が出来たの2001年なんだけど、その頃はほとんど存在知られてないです。 wikipediaが市民権を得たのって、2005年くらいじゃないですかね? ともかく10年以上前に「ちゆ12歳」というサイトがありました。 この頃だと、一日1万アクセスあったら最大手と言っていい時代なんだけど、ちゆは普通に10万ありました。 個人で書いた文章で毎日10万アクセス集められるって、今でもほとんどない。 (切込隊長のブログあたりはどうなんだろ。グーグルリーダーで二万人いるから、かなりアクセスはありそう)。 今の時代、オタクっていうのは、社会不適合者のセーフティーネットだと思うんです。 クラスの中心から外れてしまうような人に与えられる椅子であり、そういうグループのコミュニケーションツールです。 要は、運動出来ない、ブサイク、そのあたりの理由から消去法的にオタクを選択するわ

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    siunn 2012/03/04
    考えさせられるなぁ
  • 村上春樹の模倣を禁じた文壇の衰退(文化なんて模倣で繁栄するのに) | ブログ運営のためのブログ運営

    文化ってある程度模倣だと思うんですよ。 ラノベのレーベルが乱発されてるのも、似たような作品の濫造に向かってるからです。 その結果、後によいものが残るかどうかはわからない。 結果として、ゴミばかりということもあります。 (あかほりさとるの作品を今読んでどう思うか)。 しかし90年代のCDバブルでも当時はすごい批難されたし、小室哲哉は特にバッシングの対象だったが、あれから10年以上経ってみれば、小室哲哉の多数の駄作は忘れ去られ、名曲の方で評価を受けていると思う。 文学とか文壇は90年代のCDバブルみたいなこと出来なかった。 村上春樹を否定したからだと思うんです。 あれを真似していいという流れになっていたら、今のラノベレーベルの乱立と似た状況になっていた。 たとえばあなたが、三島由紀夫の金閣寺みたいな作品書けと言われたら無理だろうけど、村上春樹の模倣なら結構出来るでしょ? 村上春樹の場合、模倣し

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    siunn 2012/03/04
    確かに模倣を禁じてはねぇ
  • 「金閣寺」と性的不能 | ブログ運営のためのブログ運営

    こちらが力を入れているエントリーほど読んで貰えないという問題があって、僕が三島由紀夫について書いてるのも、そのうちのひとつ。 とはいえ、読まれなくても書くんです。 ライフワークだからね。 「金閣寺」という作品はやたらと難解に思われがちだが、実際は悩める青年にとっては、とてもありがちなテーマで描かれている。 ヒロインの有為子がその典型です。 主人公と有為子の関係は、絶対的な拒絶である。 ハリウッド映画なら、モテない主人公とコケティッシュなヒロインの関係をコメディで描いたりするんだろうけど、「金閣寺」は世界文学の最高傑作なので、そのような救済はない。 主人公がヒロインとドタバタして結ばれたり結ばれなかったりがコミカルに描かれたりすることなど無く、あくまで絶対的な拒絶なんだよ。 三島由紀夫はウッディアレンじゃないんだから、物の拒絶だよ。 ヒロインから拒絶されてそのまんまだよ。 「金閣寺」では性

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    siunn 2012/03/04
  • フィクションのハッキングってリアルである必要ありません | ブログ運営のためのブログ運営

    ブログにはコンセプトが必要だ。だから、いきなり三島由紀夫について語り出しても誰もブクマしない。僕にとってはライフワークでも閲覧者の人にとってはノイズです。そのあたりの難しさ。ブログ訪問するからには、ある程度話題のクラスタというか、「こういう種類の話題」を期待してるわけだろ。それを汲み取って、きちんと提示できる能力のあるブログが伸びるんですよ。 でもさ~。俺ってブロガーじゃん。AMNのイベントとかには間違っても呼ばれない種類のブロガーなんだよ。だから多少、「ネットの話題」というコンセプトは守るにせよ、時々、ukdataというブロガーの幅を広げていくような実験的エントリーも投げていきたいんだ。前振り長くなったがそういうことだ。ブログのコンセプトは8割方変わらないけど、ノイズを入れていく。言うなれば進化の種だ。読むのも読まないのも自由だ。個人サイト冬の時代の中で、ブロガーとして、この狭苦しい世界

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    siunn 2012/03/04
    参考になります。ありがとう
  • 男が一人の女にこだわるのは | ブログ運営のためのブログ運営

    他人に疲れてきたんで、他人が読まないようなエントリーしよう。 三島由紀夫の「金閣寺」において、主人公は吃音です。これは実在するモデルが吃音だから吃音にしてるのですが、三島は天才なだけあって、隠喩として「吃音」を効果的に用いています。普通の人はスムーズに発声することによって世界と密接に関係しているのに、主人公は吃音者だから、自分と世界との間のズレがある。吃音ってそこまで大袈裟かという疑問は野暮です。メタファーとして、主人公と世界のズレを作り出すものなんです。 この決定的なズレから物語は展開されます。この種のズレの感覚って青年期の悩みとして思い当たるところがある人多いはずです。だから普遍的な作品なんです。 主人公と世界のズレというのは、金閣に対する認識の問題にもなります。主人公の心の中の金閣と現実の金閣は違うという問題です。主人公ははじめて実物の金閣を見た時、とてもガッカリするわけです。このあ

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    siunn 2012/03/04
    長文をこれからも期待
  • 主人公と考えが対立するライバルの存在 | ブログ運営のためのブログ運営

    この話題は来なら僕が一番大好きなアニメである「コードギアス」のルルーシュと枢木スザクの関係性として語りたいのですが、世間の人はコードギアスなど知らないでしょう。ルルーシュとスザクを対立させて物語を展開させていく巧さを解説しても元の作品が知られてないのでは意味がない。なので、三島由紀夫の「金閣寺」を題材に語ることにします。金閣寺ならコードギアスの10000倍は有名です。なので、登場人物に思想を仮託して対立させるという手法を、金閣寺を通して語りたい。 主人公溝口は大学生活で孤立しつつ、不具者の柏木という青年に声を掛けます。主人公と柏木の関係について話すと極めて長くなるので、かなり割愛します。 柏木が出てくる必然性は明白であり、金閣寺に放火するかどうか、という葛藤を演じる相手です。主人公一人で自分語りして自己解決するやり方だってあり得なくはない。とはいえ、「もう一つの考え」を別の人物に体現させ

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    siunn 2012/03/04
  • ライフハックは一時的な流行だと考えてたんですが、間違いでした | ブログ運営のためのブログ運営

    人は成功した人の話しか聞かない。 失敗した話の方がためになるんだけど、笑い者にしたいという連中が頑張ってしまう。 成功した話は、実はためにならないんだけど、有り難がって崇拝する人間がいる。 声優になりたいという高校生がいた場合、成功した声優の話よりは、声優になれなかった人の話を聞かせた方がためになるだろ? まあいいや。 題に入ります。 僕は2007年あたりから、ブログ論壇的なものが衰退しているのは感じてました。 そしてライフハック(ハウツー)的なサイトに人気が出ているのも感じていた。 そのあたりの流れは、誰が見ても明らかだったよね。 直接的な原因として、たとえば「はてな匿名ダイアリー」の人気が出すぎて、個人のダイアリーにアクセスが流れないという構造的問題がありました。 はてな運営は、個人のダイアリーにアクセスを流す工夫をするべきでした。 2ちゃんに書けば千人くらいに読んで貰えるわけですが

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    siunn 2012/03/04
  • 中の人に関心持たれるとブログの寿命は縮みます | ブログ運営のためのブログ運営

    僕がかつてzenhiteiと名乗っていた頃、集まってくる人のほとんどはzenhiteiの書いた文章ではなく、zenhiteiという人物に関心のある人でした。 普通に読むだけの人と、直接コンタクトを取りたがる人の違いという意味です。 コンタクト取りたがる人は、ろくに記事も読まずに、騒ぎたいだけだったんです。 個人サイト最大手の「2ちゃんねる研究」を閉鎖せざるを得なくなったのは、(僕が書く文章を読まないのに)zenhiteiに関心のある人からの雑音が凄すぎて耐えきれなくなったからです。 あの当時はアフィなかったからね。 厳密に言うとアマゾンアソシエイトが始まった頃で一部の人は貼っていたが、貼ってない人が大半でした。 僕としても、金銭にはそれほど興味が無かったので貼ってませんでした。 結局、あの当時閉鎖に追い込まれた根幹問題は、(zenhiteiの書いた文章に関心がなく)zenhiteiという人

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    siunn 2012/03/04
  • 終末思想、そして世界が終わりそうにない現在 | ブログ運営のためのブログ運営

    世界が終わりそうにないのが2012年の世界だと思うんです。 日は一年くらい前にとても大きな地震に見舞われて原発事故まで体験しました。 でも、「終わり」の感覚からはほど遠い。 様々な問題はありながらも、今の時間性と地続きで世界が続いていくという風景が見える。 これだと東京に関東大震災級の地震が来ても、「終わり」は見えない気がする。 終末とはほど遠い世界で、よくも悪くも終わらない日々が続くんです。 三島由紀夫は「金閣寺」において終末思想を描きました。 主人公は戦争中は(破滅が目前という理由から)金閣を愛するが、戦争が終わって(永遠に続きそうな)金閣を憎むんです。 だから主人公自ら火を付けるというロジックが展開されます。 五島なんとかがノストラダムスのブームを流行らせたのは1970年代以降なので、当然ながら三島由紀夫の金閣寺(1956年)はそのあたりの影響は受けてません。 終末思想は普遍的であ

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    siunn 2012/03/04
  • R-style

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    siunn 2012/03/04
  • ファンがアンチに変身する瞬間をこれまで何度も見てきたので | ブログ運営のためのブログ運営

    最近僕に「ファンです」とか言ってくる人がいるんですが、全然嬉しくないんです。 過去の経験からして、結構な割合でアンチに変わるからです。 好き嫌いの感情が激しいというか、ファンになる人は同時にアンチにもなりやすいです。 野次馬根性の強い人だと、ファンでありつつも、アンチと同じ目線でwatchしたりするからね。。。 ネットでの評価は引っ込めることが出来ます。 紙媒体ならこれは違うんですよ。 僕が漫画家だとして、途中まで売れていたとする。 そしてつまらなくなって、「あいつつまんねーよ。もう買わない」と多くの人から言われるとする。 その場合でも、売れていた間の売り上げとか印税はそのままです。 「金返せ」と言われても、当に持って行かれることはないわけです。 ネットでの評価は、これと違うんで、引っ込められてしまうんですよ。 一度貰った評価を奪い去られてしまう。 もちろん、ファンになったら永遠の忠誠を

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    siunn 2012/03/04
  • ラスベガスで豪遊してきたんだけど | ブログ運営のためのブログ運営

    どうも最近ブログが書きづらくて仕方がない。 どういう読まれ方をされるかの問題です。 いろいろトラウマがあるので、そこで不満が生じてしまった。 kaianiさんという人の間でちょっとしたことがあって、それは当に小さなことだったんだけど、これまでの10年くらいのトラウマがよみがえってきて、かなり書きづらくなってしまった。 御人からは「野次馬根性を出していろいろすみません」という謝罪をいただいたけれど、僕のトラウマの蓄積量が多すぎるんで、小さなトリガーでも駄目なんですよ。 たとえば、僕がラスベガスで豪遊してきたという話を書いたら、それをネタとして理解してくれるのだろうか、という不安があるわけです。 これはネタですよ、と注釈をつけなければならないのだろうか、という懸念が生じるわけです。 うかうかしてると「ukdataはラスベガスで豪遊と嘘を吐いた人物」と扱われかねない。 このブログでは出来るだ

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    siunn 2012/03/04
  • アイドルに何かあるとファンが恥をかくよね | ブログ運営のためのブログ運営

    http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/01/28/kiji/K20120128002522520.html AKB48の平嶋夏海(19)=第3回選抜総選挙26位=と、米沢瑠美(20)=同圏外=が27日、男性と一緒に写った写真がインターネット上に流出したとして、運営側に脱退を申し入れた。騒ぎが広がった発端は、一部のファンが発見した米沢の私的なものとみられるツイッター。2人とみられる女性の写真が複数枚あり、その中には同年代の男性とパジャマ姿で写っている写真もあった。 アイドル的な存在を応援するのは至難の業で、当に難しいです。絵空事を守り続けてくれるアイドルなんていなくて、たいていは襤褸が出る。応援していて心からよかった、なんてことはないのです。塗炭の苦しみなんです。信仰することの苦み、もしくは挫折感を味わうためにアイドルというシス

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    siunn 2012/03/04