ブックマーク / tekutekulife.hateblo.jp (11)

  • 躁があり鬱がある。 - てくてく日和

    今日は少しだけ 自己紹介をしようと思います。 ぼくは今 週に数日だけ働いて、 あとはのんびりスローライフを送っています。 というのも、 週5日ばりばり働けない身体 と言うのが大きな理由です。 皆様は双極性障害と 言うのをご存知でしょうか。 よく躁うつ病なんて表現をされたりします。 文字通り、 平常心を超えて高揚感のある躁状態と、 おそらく皆様がイメージされる 部屋に引きこもって寝たきりになる状態が 一定の周期や、色々なきっかけで、 生じる病気です。 よく、 うつ病に躁状態がプラスされた病気と と間違われるのですが、 躁うつ病の状態と、 うつ病の状態は質が異なるようです。 うつ病を心の病気と表現するなら、 躁うつ病は脳の病気。 結果的に似たような状態に収まるので、 どちらもに変わらないのですが、 根が違えば、取られる対処も変わります。 対処というのは治療のことなのですが、 飲む薬

    躁があり鬱がある。 - てくてく日和
  • 幸せという基準 - てくてく日和

    自分が不幸になる選択は普通取らない。かと言って、自分の選択が必ずしも幸せになるとも限らない。 しかし叶うなら、自分の選択が全て幸せにつながるのさものであってほしい。 ぼくならそう思う。 小さな話。 「今日は特別。疲れたし、コンビニでべたいものを好きなだけ買おう」なんて思った事はないだろうか。「おやつはいつも1つだけにしてるけど、今日は2つ買おう」も然り。 しかし、いざ帰ってべたい物を好きなだけべた時に、お腹こそ膨れたが、思ったほどの幸福感が得られないり。贅沢をしたつもりが、思ったほど満足感が得られなかったり。 他にも、「ちょっと高いけど買おう」と思い切って買った物が、思っていたのとは違ったり。自分へのご褒美のつもりで買った物が、思うような効果を得られずストレスを感じたり。 むしろ、自分の選択が幸福に直結する事は少ないのかもしれない。ここ最近、どんな時に幸せと感じただろうか。意識してい

  • 迷惑の価値 - てくてく日和

    人にとって「人に迷惑をかけない、かけてはいけない」は当たり前の事。最近の親御さんは、露骨にこの言葉を使わないかもしれないが、人に迷惑をかけないと言われて、意を唱える人はいないだろう。 そんな日人にとっては当たり前の事が、海外では少し異なって教えられていたりする。中には、嘘でしょと思うほどに、日人の価値基準とは大きく異なる事も。 その中での今回の「人に迷惑をかけない」と言う言葉、インドでは「人に迷惑をかけるのは仕方がない。その代わりに人から迷惑をかけられた時には助けなさい」と教えられている。 深く考えさせられる。 振り返ると、人に迷惑をかけないのが当然であるなら、人に迷惑をかけられるのもいやになる。無意識にそう言う現場を避けて通りたくなるものだ。 では、インドの人たちが教えるように、迷惑をかけても仕方がない、その助けてもらった経験を生かして、迷惑をかけられた時にも助けてあげなさいと言

    迷惑の価値 - てくてく日和
  • 人気のないオリジナルコーヒー - てくてく日和

    薄暗い店内。 手元だけ照らされているカウンター席が4つ。後ろに置いてある水槽にはカメ2匹が入っている。入り口、入ってすぐ足元に置いてある小さな棚にはコーヒーががっしりと詰まっていた。 マスターがコーヒーを淹れている間は誰も口を開こうとはしない。ただ、コーヒーの滴る音とマスターの握るポットだけが動いている。 服の袖から伸びる刺青が、より独特な雰囲気を醸し出していた。 マスターの年齢は確か30前後と聞いた。コーヒーが好きで、何度もヨーロッパへ行き、コーヒーを学んできたと言う。 ぼくはペルーのコーヒーを一杯飲んだ後、帰り際に、オリジナルブレンドを100グラム頼んだ。するとマスターは「かなり癖がありますよ。」と一言。ぼくは自分の家で淹れる前に、マスターの淹れたものを飲んでおこうと、帰る前にもう1杯頼んだ。当然、人が淹れたのが物の味。まずは正解を知っておきたいと思ったのだ。 確かに、この人

    人気のないオリジナルコーヒー - てくてく日和
  • 人気のないオリジナルコーヒー - てくてく日和

  • 怒りが消える - てくてく日和

    親の不注意で歩けなくなった。 不注意と言っても、なにかしらの障害が出ると分かってたんじゃないかな。 そして少しずつ体に異変があった事にも、 気づいてたんじゃないかな。 親への不満は最初、何もなかった。 でも、歩けない不便さや、他の人とは違う苦しみが深まるにつれ、不満だけじゃなくて、怒りや、憎しみもふつふつと湧き上がってきた。 ただ 皮肉なもんで、親をどれだけ憎んでも歩けるようにはならない。それでも親を妬ましく思ってしまう。どこか、そこに自分の正当性を見出していたのかも。間違った事はしていない。 いったい どれだけの時間、この感情の中をさまよっていたのだろう。どこか自分でも無駄なことをしていると気付いていた。でも、親の不注意と自分の身体に起こった事が受け入れられなかった。 ある時は大声で叫んで物に当たった。木製バットで地面を殴った時には、バットが折れ、折り畳み式のベットはぐにゃりと曲がった。

    怒りが消える - てくてく日和
  • 努力では真似できないもの - てくてく日和

    努力では真似できない事がある。 それは技術ではなく、心の話。 ぼくには尊敬できる人がいる。誰も彼もというわけではなく2人か3人。その内の1人としてはカウントはされていないが、ぼくの妹にも尊敬できる部分がある。 ぼくの妹は、世間一般では良い子と呼ばれる分類だ。ぼくには良い子の基準は分からないが、ただ優しい子であることは確かである。 数年振りだろうか、久しぶりに妹と会ったのは、実家で集まった時。と言っても実家には誰も住んでおらず、妹の用事に付き合うために、それぞれ帰って合流した。 数日家に泊まる事になっていたので、身一つで来るとは思っていなかったが、駅のホームから出てきたのは、思っていた以上の大荷物を抱えた妹の姿だった。 お互い久しぶりと挨拶を交わした後、妹は 「はいこれ。」と言った。 大きな袋に入っていたのは、まだ2人が実家に住んでいた頃、一緒に出かけ、ぼくがお店で出会ってしまった、最高に素

    努力では真似できないもの - てくてく日和
  • 性格は言葉に出る - てくてく日和

    今回 注目するのは、 自分が人に対して使う批判的な言葉だ。 人を批判する時に 自分が使う言葉はだいたい数種類に限られている。その言葉が昔からよく使う言葉なのか、色々な人と出会う中で変わり、定着した言葉なのかは人それぞれ。 また、悪口として人に話すこともあれば、自分の頭の中で、人を非難することもあるだろう。 そしてそんな言葉を羅列してみると、自分の知らない自分の性格や、どのような価値観で人を見ているのかが分かる気がする。 正直な気持ち、 書き出すのは勇気がいる。 自分の嫌な部分なんて誰も見たくない。 ただ有益である事とぼくは思う。 日常的な自分ではなく、ふとした瞬間に一瞬出る自分の姿だ。これは意識してみないと見つけられない。 その前に人がよく使う褒め言葉にはどんなものがあるか書いてみたい。 いきなり批判的な言葉を羅列するには 心の準備ができていない。 これは、 インターネットから拾ってきたも

    性格は言葉に出る - てくてく日和
  • 洗い物で楽をする - てくてく日和

    部屋、トイレ、お風呂、 掃除が好きと言うのはよく聞く。 だが 洗い物が好きと言う人には、生まれてこの方 聞いた事も 出会って事もない。 ぼくも好きではない。 調子が良ければ事を終えた勢いで済ませられるが、1分 後回しにすると、不思議と続けてどんどん溜まっていく。いや、当然のことか。 洗い物は嫌いだ。 さすがに食洗機を買うつもりはない。 つまり 洗い物をする事 自体は避けられない。 しかし、どうにか その工程を減らせないか試行錯誤した結果、拭く手間を省く事に成功した。 生み出されたのは、洗った物をそのまま放置すれば何でも乾く、魔法のスペースだ。 これは、 電子レンジの上に珪藻土マットを置いただけ。 一応、珪藻土マットと電子レンジの間には 木の板がかましてある。 この珪藻土マットはダイソーでバスマットとして売られてるのは秘密の話。バスマットとは言え ただの珪藻土マットなので、問題はない。

    洗い物で楽をする - てくてく日和
  • 大切なのは「想像力」 - てくてく日和

    これは、 ある福祉に携わっている知人から聞いた話。 福祉に携わる上で大切なのは 「愛情と親切と想像力」 「愛情」ひとつでも良いのでは、とも感じたが、彼曰く実際の現場では前2つよりも「想像力」が大切だと教えてくれた。 一瞬「想像力」と言われても、その使い道はよく分からない。しかし、 その使い方は簡単だった。 「相手の立場を想像して考える」と言う事だ。 福祉には携わった経験のないぼくであったが、それは当たり前のようにも思えた。しかし、必ずしも福祉に携わる人間が皆 意識できているわけではないようだ。 想像力。 相手の立場を想像して考える。実際の現場では「想像し続ける」事が求められるのだろうか。急にレベルが高くなったように感じる。 一対一で向き合い、その不自由に寄り添う人にとって、確かに必要な事のように思える。 ここには、 実際に ぼくが体験した話を綴ろう。 ぼくは当時 趣味として手話を始めた。

    大切なのは「想像力」 - てくてく日和
  • 野菜ストッカーを作ってみた! - てくてく日和

    スチールのカゴはニトリ。 板はダイソーの(300×200×6の板MDF材)を そのまま ぱこっとはめただけ。 はめた?置いたって感じかな? なかなか気に入っている。 前もって 言わなければならないが、茄子をこのように常温で保管するのは進めない。 おそらく 見ての通りの、ぼくのどストレートな常温保存の仕方が間違っていたのだろう。 翌日夕方には萎びていた。 ↓続く はい。 では そもそも なぜ野菜ストッカーを作る事にしたのか。 それは、自炊をしている身としては、 冷蔵庫が小さく感じたから。 ぼくは一人暮らし。 極端に小さいわけではないが、 一人暮らし用の 冷蔵庫を使っている。 べたい物が 思い浮かぶたび、 新たな材を買っていたらこうなったら。 こうならないよう、 日々考えて事を作るべきなのだが、 なかなか 難しい。なかなか。 ぼくはまだ、ベテラン主婦ほどのスキルは 持ち合わせていない事を

    野菜ストッカーを作ってみた! - てくてく日和
  • 1