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  • 日々の新聞 第94号 田村隆寿さんの36年

    炭鉱地帯の浅貝で育った。近くにはチームメイトの阿部稔(故人)や吹奏楽の藤林二三夫(現湯高校教諭)などが住んでいた。湯二中ではピッチャーをやってた。県大会に進み、準決勝で惜敗した。いわき勢では最後まで残ったと思う。高校は取ってもらえると高をくくっていたら落ちた。あの1年のブランクは体力面でこたえた。精神面では大人だったが、体がなまってしまい練習についていけなかった。 1年のころは内野をしていた。そのうちキャッチャーがいなくなったのでお鉢が回ってきた。二年生の時、甲子園でPL学園と対戦し、延長11回の末に1―2で敗れた。でも、PLの新美から2ヒットを打った。バッテリーを組んでいた木村さんのボールはクセ球で、まっすぐのサインでも微妙に変化した。その夏はほとんどの試合で完璧な投球だった。 新チームでは主将になった。できればやりたくなかったけど、歳が1つ上ということだったんだと思う。自分じゃな

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