今ひとつ調子の上がらない巨人・木佐貫。 高校野球鹿児島大会も開幕したが、松坂世代の98年、鹿児島大会決勝は超高校級同士の投げ合いだった。 そこにいたのが、県立川内高校の木佐貫洋と、私立鹿児島実業高校の杉内俊哉だった。 --- 「僕は川内に行って鹿児島実を倒すのが夢なんです」。誘いにきた鹿児島実の監督・久保克之に、中学生だった木佐貫は言った。 木佐貫には約束があった。小学校時代の仲間と地元の川内高に行き、甲子園に出ることだ。川内からの推薦にも「僕は勉強で入る。甲子園に行けるよう他のいい選手を推薦枠で取って下さい」。 186センチ、78キロ。「軽く投げているのに不思議なほどボールが真っすぐ伸びた」。川内の当時の監督中迫俊明は振り返る。「3年後にプロから注目されなければ、私は指導者失格」。そう思わせる逸材だった。 遅刻も欠席も一切しないまじめな男。黙々と、自分で練習した。 杉内との初対決は2年の