ブックマーク / www.c20.jp (1)

  • 桂・ハリマン覚書 / クリック 20世紀

    引用日に対するアメリカの利害は単純ではなかった。 政府が日の進出を恐れる一方で、日が得た満州の権益に割りこもうとする米資の動きは活発だった。 タフトの訪日に続いて、アメリカの鉄道王エドワード・ハリマンは駐日アメリカ大使グリスコムの招待というかたちで 一九〇五年八月三十一日日を訪れる。 日露戦争の戦費をまかなうため日海外で募集した戦時公債を五百万ドルも引受けた実績を持つハリマンが、 このとき日へ乗りこんできた真の目的は、南満州鉄道の買収にあった。 当時日の政府には日露戦争の結果得た満州の権益を自力で経営する自信がなく、元老をはじめ桂内閣もアメリカの導入を 渡りに船と歓迎したのである。 ハリマンの計画は単に南満州鉄道を買収するだけでなく、それを起点にシベリア鉄道を経てヨーロッパへ、 さらに汽船連絡によって世界一周鉄道を実現するという壮大な構想であった。 話合いは、順調に進

    skv101
    skv101 2009/07/09
    桂・ハリマン協定 1905(明治38)年 桂太郎首相とアメリカの鉄道王エドワード・ハリマンとの間で結ばれた協定
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