タグ

書評に関するsmartbearのブックマーク (11)

  • この本がスゴい!2011

    今年もお世話になりました、すべて「あなた」のおかげ。 このブログのタイトルは、「わたしが知らないスゴは、きっとあなたが読んでいる」。そして、このブログの目的は、「あなた」を探すこと。ともすると似たばかり淫するわたしに、「それがスゴいならコレは?」とオススメしたり、twitterやfacebookやtumblrで呟いたり、「これを読まずして語るな!」と叩いたり―――そんな「あなた」を探すのが、このブログの究極の目的だ。 昨年までの探索結果は、以下の通り。 このがスゴい!2010 このがスゴい!2009 このがスゴい!2008 このがスゴい!2007 このがスゴい!2006 このがスゴい!2005 このがスゴい!2004 昨年から始めたオフ会で、たくさんの気づきとオススメと出会いを、「あなた」からもらっている。目の前でチカラ強くプッシュしてもらったり、物語談義を丁々と続けたり

    この本がスゴい!2011
  • ぐっと胸が温まる「レイモンド・カーヴァー傑作選(Carver's Dozen)」

    村上春樹と池澤夏樹に感謝。 優れた小説家の仕事は、小説を書くだけでは不十分で、他の作品を紹介することにある。優れた書き手は、優れた読み手でもあるから。池澤夏樹の小説はもう読まないが、彼が選んだ「世界文学全集」は鉱脈を見つける助けになった。村上春樹の小説はもう読まないが、彼が訳したレイモンド・カーヴァーのこの短篇集は素晴らしい。 出会いは、池澤夏樹が「短篇コレクションI」に入れた「ささやかだけど、役に立つこと」。これはグッとくる、というか涙した。これほど平易な言葉で、これほど深いところまで届くのか、と驚きながら湧いてくる気持ちに感情を委ねた。 乾いた文体でレポートされたような"悲劇"。感情を具体的な語で指さず、淡々と行動で記録してゆき、ラストの最後の、「ささやかだけど、役にたつこと」のところで綿密に描写する。そのワンシーンだけが読後ずっと後を引くという仕掛け。これは狙って書いて、狙って訳して

    ぐっと胸が温まる「レイモンド・カーヴァー傑作選(Carver's Dozen)」
  • 「メイスン&ディクスン」はスゴ本

    もちろん「V.」も「重力の虹」も持ってる。けど「持ってる」だけで、読み終えたためしがない。イメージの濁流に呑み込まれて読書どころでなくなる。注釈と二重解釈と地文と話者の逆転とクローズアップとフラッシュバックと主客の跳躍に翻弄され、読書不能。まれに、「読んだ」「面白かった」という方がいらっしゃるが、どうやって【読んだ】のだろうあやかりたい頭借りたい。過日、ようやく河出書房の世界文学全集の「ヴァインランド」をくぐりぬけたのだが、読書というより酔書でフラフラとなった。 で今回、辞書並み(しかも2冊)の「メイスン&ディクスン」は、ドーパミンあふれまくる読書と相成った。小説的瞬間とでも名付たくなる、小説内時空間のどこにでも言及され・見渡され・語られている、代えるものがない強烈な感覚に浸る。酒みたいなものだ、酔いたいから呑むのであって、結果、酔うから楽しいとは限らない。もちろん微酔の楽しみもある一方、

    「メイスン&ディクスン」はスゴ本
  • 私小説とは内臓小説だ「塩壷の匙」

    小説とは内臓小説だ。 自分自身をカッ斬って、腸(はらわた)をさらけだす。主人公=作者の、あたたかい内臓を味わいながら、生々しさやおぞましさを堪能するのが醍醐味。キレ味やさばき方の練度や新鮮さも楽しいし、なによりも「内臓の普遍性」に気づかされる。そりゃそうだ、美女も親爺も、外観ともあれ内臓の姿かたちは一緒なように、えぐり出された内観は質的に同じ。だから他人の臓物に親近感を抱く読み方をしてもいい。 松丸舗にて松岡正剛氏から直々にオススメされた車谷長吉「塩壷の匙」を読む。傑作短編集だ。松岡正剛さんオススメの劇薬小説という触れ込みだが、これは内観のおぞましさだね。そいつをハッとするほど美麗な筆致で削りだす。たとえば、「なんまんだあ絵」で井戸の中の鮒に近しいものを感じていた老婆が、こんな光景にであう。 釣瓶を井戸へ落とし込んだのだが、ゆるゆる闇の底から上がってきた水桶の中に、鮒の白い腹が浮かん

    私小説とは内臓小説だ「塩壷の匙」
  • 黄金の羊毛亭

    ・作家別感想索引 (国内・海外共通/50音順) ・(比較的)最近の感想 似鳥 鶏 『叙述トリック短編集』 (2023.02.19) 伊吹亜門 『刀と傘』 (2023.04.29) 市川憂人 『グラスバードは還らない』 (2023.02.28) H.マクロイ 『牧神の影』 (2023.04.10) 麻耶雄嵩 『友達以上探偵未満』 (2023.03.30) (→ 掲載順リスト) ・改稿した感想 (2017.04.23) P.ワイルド 『悪党どものお楽しみ』 ・シリーズ作品 (2022.03.22) E.D.ホック〈怪盗ニック〉に『怪盗ニック全仕事5』を追加 ・短編 (2017.04.23) 泡坂夫 「酔象秘曲」 ・ロバート・J・ソウヤー 〈ミステリファンにもおすすめのSF作家〉 (2022.03.11) 『見上げてごらん。』を追加 ・ジョン・ディクスン・カー 〈黄金時代・不可能犯罪の巨匠〉

  • 『1000の小説とバックベアード』(著作:佐藤友哉)読了。大声を出しながら腹踊りをしている人を見かけたらどうするべきか。 1953ColdSummer

    何だかそれらしいことをなるべく抽象的に書いて、「解釈はあなたにゆだねます。解釈できないのならば、自分の頭の出来を疑いなさい」と平然とのたまう作家というのは有害なので、以後、そいつの図書館で借りて読むか、ブックオフの100円コーナーから摘んできて読み、その後燃やして暖を取る、というのが自分たち市井の人間にできる精一杯の焚書坑儒、いや糞書攻呪なのだけど、その点で作『1000の小説とバックベアード』はかなり危うい線を歩いている作品だと感じる。  人の襟首を掴んで大声でがなり立てるものよりも、むき出しにした尻をパンパン! と叩く小気味のいい音の方に人は振り返りやすいし、また近寄りやすい。だが、自分の尻をパンパン! と叩きながら声量大きく自己愛を語る人(作者)、というのが現れた場合、人(読者)はどう対応するのか。ゆやたんこと佐藤友哉の『1000の小説とバックベアード』の危うさはそこにある。  

    smartbear
    smartbear 2010/10/07
    この小説は変に感動的だった
  • 1Q84、村上春樹 : 金融日記

    僕は最近、日中でとにかくものすごく売れて、BOOK 3の発売日には屋に朝から行列までできたという村上春樹の最新作「1Q84」を、みんなからはかなり遅れて読んでみることにした。全部読むのに一週間かかった。僕はこういう流行、またはバブルみたいなものには一番早く乗るか、さもなくばかなり遅れて、だいたい数ヶ月から1年ぐらい後に、じっくりといろいろな評判を念入りに確かめた後に乗ってみることにしている。すべてのブームに飛び乗っていてはお金も時間も足りないし、かといってひとりの物書きとして―いつから僕は「物書き」になったのかという当然の疑問はひとまず脇に置いておくとして―日中でブームになったものは自分の目で、耳で実際に確かめてみないわけにはいかないからだ。たとえそれがあまりよくない評判で、お金と時間を使ったことを後悔させられることがおおむね確定していたとしてもだ。そうやって僕なりの感想を、それが良

    1Q84、村上春樹 : 金融日記
  • [書評] 1Q84感想、補足: 極東ブログ

    補足的雑感を。 * * * book 1の冒頭が4月なので、もう四半期のbook 4までありえないことないかなとも思ったが、(1) 1Q84という年は12月をもって終わるので、book 3の終わりがそれに相当するだろう、(2) 次の物語の展開は、ドウタの出現だがそれは4月を超える、ということで、ここで完結だろう。 しいていえば、(3) book3の構成はbook 1およびbook 2ほどには計算されていないので(時間もなかったのだろうが)、文章の息がややまばらになっていて、これ以上は継続できない。 * * * book3で完結感はあるかといえば、十分にあると言ってもよいだろう。その最大の理由は、book 1とbook 2の謎を、従来の村上春樹長編のクセのように放置しなかったこともだが、やり過ぎた暗喩(特にリーダーの予言)がいくつかbook 3で変更されていることから、それなりの落とし前の意

    smartbear
    smartbear 2010/05/13
    “余談だが、ネットの世界は牛河の家族のように愚劣な人々と、牛河の魂を持ち合わせてしまった不幸な人と、牛河の物語を愛するキチガイの三者がほどよく目立つ。”
  • [書評] 1Q84 book3 (村上春樹): 極東ブログ

    私たちの世界では、夏目漱石の「明暗」(参照)の結末を知ることはできない。ドストエフスキーが当に書きたかった「カラマーゾフの兄弟」(参照・参照)の第二部を読むこともできない。命と引き替えに文学を超えようとした存在の出現は許されない。あるいは川端康成(参照)の「千羽鶴」(参照)の続編「波千鳥」のように、作者の生の有様が存在を限界付けることもある。村上春樹の「1Q84 book1, book2」(参照)は、文学を超えようとする手前で放置されかけた。が、不思議な形で完結した。 不思議な形というのは、後続するbook3は、book1と book2とはあたかも異なる作者による批評の作品として読めるからだ。1Q84のbook1と book2が投げかける巨大な謎を、村上春樹自身が批評家としてbook3でおそらく渾身を込めて解き明かして見せた。彼が文学の批評に立ったのはこの作品が初めてだし、そのことでおそ

  • http://d.hatena.ne.jp/ayakomiyamoto/20100509

    smartbear
    smartbear 2010/05/10
    「カーヴァーっち」ってw 今度読もう。
  • 「俺の邪悪なメモ」跡地

  • 1