タグ

ブックマーク / www.kojinkaratani.com (1)

  • 柄谷行人【平衡感覚――福田恆存を悼んで】

    平野謙がどこかで、小林秀雄が「文學界」を始めたとき人民戦線を考えていたのでないかと述べていた。人民戦線と呼ぶべきかどうかは別として、小林秀雄が左翼崩壊後に左翼擁護の立場にまわったことは確実である。そのことは彼が「文學界」同人に中野重治や林達夫を強く誘ったことからも、また彼の「私小説論」や「芸術と実生活」といった評論からも明らかである。また、「戸坂潤氏へ」というエッセイには、そのことが端的に書かれている。彼は戸坂潤らが作った「唯物論研究会」に入っていたのである。小林を「伝統主義者、復古主義者、日主義者」と断罪する戸坂の批評に対して、彼はこう述べる。《屁理屈は抜きにして、それより僕は唯物論研究会のメンバーであるから、さつさと除名したがよかろう》。 僕は自ら進んで唯物論研究会に入会したのではない、再三勧誘を受けて加入を承諾したのである。その時僕の名前でも利用の価値があるならどういふ風にでも利用

  • 1