トルコ水紀行 -前編 イスタンブール- みなさんこんばんは、地図子です!8月は久しぶりに毎月更新にしようと思います。今までずっと名古屋について書いてきましたが、ワープして・・・ トルコについて書きたいと思います。 2024年6月に念願のトルコに行ってきました。いつからトルコに行きたかったかわから…
この映画は、あまりにも多くのこと、重い事実が描かれているため、一度見ただけではちゃんとした感想をまとめることが不可能なように思った。 上映のあと、岡真理さんがスクリーンの前に立って話をされ、自分はこの作品を何度も見ているが、見るたびに感じるものが広がっていく、という意味のことを話されたのだが、分かる気がする。ただ、ぼくの場合は、「感じる」力があまりないことと、画面を見ながら考えることが拡散してしまうという性格、それから、描かれている事柄があまりにも遠近法を欠いているように思える(これは、題材がパレスチナのことであるためかどうか、分からない)ため、感動するというよりも、困惑とか衝撃という感じのほうが強かった。上映は7日までということだが、ぜひ、DVDなどであらためて見てみたい。 ともかく、たいへん特異な、そして強い印象を残すドキュメンタリーフィルムである。 (以下、すごいネタばれ) この作品
http://www.nhk.or.jp/special/onair/100418.html すでに右派から相当攻撃されてるようなので(この人たちは番組内容をちゃんと理解できてるのか?)、悪口を書くのははばかられるのだが、あれが「良心的」な番組とか、当たり前のリベラルな見解を述べた番組だと思われるとあんまりなので、あえて書いておきたい。 番組のなかで日本の学者が、安重根のような活動家や義兵闘争などの民衆の抵抗を指して「ナショナリズムが強すぎた(それが伊藤の誤算だった)」という意味のことを言ってたが、まったくひどい言い草である。 植民地支配に抵抗して、いや、たんに支配に抵抗してと言い換えてもよいが、当然の権利である独立と自由を求めて戦うこと、屈することを拒むことが、「ナショナリズム」のひと言で片付けられる問題か? それは人間としての当然の振る舞い、非難されたり蔑視されるいわれのない当たり前の
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