大阪市中央区谷町の空堀商店街周辺は都心にも関わらず、第2次大戦での戦災にも遭わず、戦前からの土地の勾配を活かした長屋の町並みが残っている珍しい場所である。この地域は、大阪城の南面を防御するために構えた三の丸の外堀「南惣構堀(みなみそうがまえぼり)」があったところで、1614(慶長19)年の大阪冬の陣の後、徳川方に埋められて堀の水が空になった事が地名に由来している。江戸時代中期頃から長屋が建ち並び、明治から大正時代に至っては縁日に建った定期市や夜店からまちに賑わいが定着し商店街が形成されていった。表通りでは明治期の漆喰の長屋や、昭和初期の様式である、外壁に銅板やタイルを用いたもの、壁に箱軒のある長屋が多く見られる。 現在の空堀商店街は長堀通り、松屋町筋、上町筋といった幹線道路に囲まれており、幹線道路沿いには高層マンションが建ち並んでいる。路地にしか面していない長屋は現在の建築基準法のもとでは