ブックマーク / www.seikyusha.co.jp (3)

  • 「心の闇」と動機の語彙 犯罪報道の一九九〇年代 | - 鈴木 智之(著)

    紹介神戸連続児童殺傷事件など、1990年代の犯罪事件の新聞報道を追い、「心の闇」という言葉が犯罪や「犯人」と結び付くことで、私たちの社会に他者を排除するモードをもたらしたことを明らかにする。そのうえで、他者を理解し関係を再構築していく方途を示す。 目次はじめに 第1章 「心」を「闇」として語るということ 1 犯罪報道と秩序意識 2 「動機の語彙論」という視点 3 動機をめぐる問いの焦点としての犯罪 4 「逸脱の文化」の消失と「心の闇」言説の浮上――一つの仮説的視点 5 「動機規則」の適用――理解可能なものと不可能なものの一線を引く行為 第2章 「心の闇」の浮上――酒鬼薔薇事件(一九九七年)までの新聞報道から 1 「闇」として語られ始めた「心」 2 露出する闇――地下鉄サリン事件(一九九五年) 3 解き明かされざる「闇」――酒鬼薔薇事件(一九九七年) 4 「心の闇」の修辞学 第3章 「動機」

    「心の闇」と動機の語彙 犯罪報道の一九九〇年代 | - 鈴木 智之(著)
  • 第2回 映画にみる文化系女子の自意識 | 青弓社

    真魚八重子(映画文筆業。「映画秘宝」「キネマ旬報」「TRASH UP」ほかで執筆多数) 誰でも自意識は大なり小なりあって、自己評価や、他人の目に自分がどう映っているかは気になるものだ。そして、その自意識に溺れて周囲との距離感が冷静につかめなくなったり、他人からの評価とのバランスがうまくつりあわないとき、めんどくさいことになりがちなのが文化系女子だと思う。 クラスや会社の同僚たちが、とても退屈な人間に見える。自分は映画音楽をどんどん開拓して、豊かな感受性を育んでいるのに、書店で山積みになっている自己啓発を読んで「気づき」とか言いだしたり、凡庸な歌詞の日語ラップをカッコイイと思っていたりする周囲の人々。話の合う恋人ができなくて「こういう人たちって合コンでいくらでも相手見つけられるんだよね」と、悔しまぎれに同類な友人と話したことがあった。趣味の分母が大きいから、「ミスチル好きなんですよ

    snobocracy
    snobocracy 2013/09/18
    今回も名文だなぁ。文化系“ワナビー”女子には特に響きそう。
  • 第1回〈女子〉と映画 | 青弓社

    真魚八重子(映画文筆業。「映画秘宝」「キネマ旬報」「TRASH UP」ほかで執筆多数) 「文化系女子」という言葉は業が深い。非常に使い勝手のいい言葉であると同時に、深く考え始めると、なんだかその範囲がぼんやりしてきて(?)となってしまう。でも、なにか絶対的に揺らがない共通の芯があるような、ある種の女性たちを的確に捉えた言葉。もちろん、この言葉を使う人によって定義に微妙な差があるし、少女でもないのに「女子」という呼び方が使われることに、露骨な苛立ちを見せる人も多い。「文化系女子」と呼ばれている女性像へ無性に反発を覚えるかたや、女性のなかでもひとつの言葉で自分の存在をくくられてしまうのが、窮屈でたまらないひともいるだろう。 そもそも「文化系女子」というのはざっくりした総称だ。読書音楽映画、美術など、インドア派な趣味をもつ女性たちを呼んだ表現だが、当たり前だけれど、そのなかには多様性がある

    snobocracy
    snobocracy 2013/09/02
    濃厚な長文。
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