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廃線に関するsobataroのブックマーク (4)

  • レールのない駅を巡る旅~6年後ののと鉄道

    2005年、のと鉄道能登線、という第三セクター鉄道が廃線となった。 地域で唯一の鉄道路線であり、何を隠そう高校時代の私が通学に使っていた路線である。それが、この世からなくなってしまったのだ。 廃線になって丸6年が経った。 私の高校生活を支えてくれたのと鉄道。誰も訪れなくなったであろうあの駅たちは、今どうなっているのだろう。人々に忘れ去られてぼろぼろの廃墟と化しているのか、それとも……。 行ってこの目で確かめてみたい。

  • あけましても関西の鉄道廃線跡をあちこち歩く仕事 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月

    37回連続で参加していたコミックマーケットをスルーし、年末も仕事に没頭していました。 と言っても、業ではなくて、副業での廃線取材。10月から2ヶ月、いろいろ回ったなあ。2000年から2002年にかけて拙著の未成線取材で2年間あちこち回り、お腹が満杯になってきたんで廃線跡歩きからしばらく遠のいていました。 久しぶりに回ったところも10年も経てば、いろいろと変わっていましたねえ。ただ、〆切が年内というので大幅引き伸ばしもできず、とにかく現地での撮影取材を回ってきました。 コミケを捨ててまで12月30・31日に向かった先は、福知山線の旧線、国鉄有馬線、そして北野ホテル。 福知山線旧線 道場駅から武田尾駅北側1キロ地点まで 福知山線の廃線跡と言えば、武庫川沿いでメジャーな生瀬〜武田尾間なんだけど、前半は一月前の紅葉の時期に行きました。 今回は難易度が高そうな道場駅側です。木藪とかで埋もれた道床

    あけましても関西の鉄道廃線跡をあちこち歩く仕事 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月
  • 往年の碓氷峠越え「能登」引退へ: 鉄板 : 人 遊 食 : 関西発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    丸い鼻の形をしたボンネット型の先頭車両が愛らしい。「489系」だけで編成する夜行急行「能登」(金沢―上野)。かつて屈指の難所として知られた旧信越線の碓氷(うすい)峠を上り下りした。長野新幹線開通で碓氷峠を挟む横川(群馬県)―軽井沢(長野県)間が廃線となり、1997年からは上越線経由に変更。峠越えはなくなったが、来年3月、JR西日のダイヤ改正で定期列車から姿を消す。 両駅間には、旧国鉄で最も急な66・7パーミル(1000メートルで66・7メートルの高低差)の勾配(こうばい)があった。その対策のための電車として開発されたのが489系だ。峠越えで補機の電気機関車を連結し、機関車側からノッチやブレーキを操作する協調運転を行っていた。 運転台には今でも協調運転への切り替えに使う“横軽(横川―軽井沢)スイッチ”が残っている。 JR西によると、1両を女性専用のレディースカーとするなど乗客増を図ってきた

    sobataro
    sobataro 2009/12/05
    嘘だッ(ry
  • 姫路モノレール手柄山駅跡で封印されてきたロッキード式モノレールを見る。 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月

    JR西日の出している「「秋の関西1デイパス」」で姫路まで行ってきました。半分仕事、半分趣味のようなものですけど、まあそれはそれ。 目的は、永年、手柄山の車庫の中で保管されてきた姫路モノレール。その車両1両が外に引っ張り出されたんですね。 下は、手柄山公園の展望台(旧手柄山駅駅舎の上)から見下ろしたところ。 諸事情により長らく封印されてきたロッキード式モノレールの生き残りがこのような形で陽の目を見る日が来るとは。隔世の感があります。 経緯はこんな感じ。 区間は、姫路駅から手柄山駅まで1.6kmのモノレール。 ロッキード社の技術提供によるロッキード式を採用。小田急向ヶ丘遊園のモノレールと同様のタイプ 1966年 手柄山で開催された姫路大博覧会へのアクセスとして開業。3両編成で、一日最大4万人の輸送力があった 港湾部の工業地帯である飾磨地区への延伸なども検討された。ただ、実態としては姫路駅から

    姫路モノレール手柄山駅跡で封印されてきたロッキード式モノレールを見る。 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月
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