あ、珍しく「俺」なんて言っちゃったよ。 自分が不快に思うことを「俺は不快だ」というのは、まぁ良いのですけど、自分が不快なことを持ち出すに当たって、何故「みんな不快な思いをしている」と言い出すのでしょう。 「みんな」を持ち出して、威圧的な態度を取れると思っているのでしょうか? 「みんなおまえのblogは不快だと思っている、だからやめろ」 そんな書き込みをした人がいました。 書いた人本人は、確かに不快なのでしょう。 でも、そこにネット人口を鑑みた時に、その人の言う「みんな」というのは、いったいどれくらいの割合なんでしょうか? 小さい子供が、自分の欲しい玩具などを親にねだるときの常套手段ですよね、「みんな持っているんだもん」 でもその子に「みんなって誰と誰?」と聞いてみると、たいていは一人か二人、場合によっては、存在すらしない友達の名前を挙げたりすることもあります。 藤子F不二雄氏の傑作短編漫画
自戒も込めて書きますが…… 僕は批判系サイト…もとい批評系サイトが好きです。自分と違う視点で物事を見ている人の文章は、面白いことが多いです。だから僕自身、特にコメント欄において、わざと斜に構えて意見を書いていることもあります。 冒頭で「批判系サイト」を「批評系サイト」と言い換えているのは、物事を批判することばかりにとらわれていると、その対象にしているものの良い所さえも見失ってしまい、「相手を負かすことや傷つけること」が主たる目的となってしまいがちになるからです。 たまに見かけるのですが、「辛口系」とか「毒舌サイト」「辛辣な意見」と称しているサイト、僕はそういうものにとても興味があるものの、実際読んでみると、ガックリくることの方が多いです。それというのも、自分で「辛口」「毒舌」と言っている人のサイトは、実際には辛口でも毒舌でもなく、ただ対象になるものの文章をコピペして「バカ」「アホ」「氏ね」
子供の安全を守る為ということは、そのウェブサイトのどこかに、子供が危険に晒される要因があるということでしょう? そんなコンテンツを作成して、誰にでも見られる場所に置いておく、という学校のウェブサイト作成関係者の危機管理意識って、物凄く低いですよね。 リンクされただけで子供の身の安全が脅かされる? それはリンクした側の問題ではなく、コンテンツ作製側の問題では無いでしょうか。 自分の子供が通っている学校のウェブサイトに、子供の個人情報が書かれていて、それが悪用され、犯罪に巻き込まれるようなことになったら、それは間違いなくサイト作成者の責任です。 リンクした側の悪意の有無にかかわらず、「誰にでも見ることが出来る場所」に置いてある以上、個人情報流出に関する危機管理意識は、もっと高めるべきです。 学校でウェブサイトを作るな、とは申しませんが、児童の安全が保証されないようなコンテンツは必要でしょうか?
まぁ最近のはてブコメント欄ネタの盛り上がりのすごいこと。 はてブ(はてなブックマーク)というのは、気になったウェブサイトを簡単にクリッピングし、ユーザー間でその情報を共有しよう、という便利ツールなのですが、もうコレが便利便利、おまけに他人のブックマークを読んでいても結構面白くて、ブログの記事なんか書いてらんねぇや、へへへっ。 クリッピング(以降、はてブでの慣習に習って「ブクマ」と記述します)の際に、50字制限でコメントを残せるのも魅力なのですが、このコメントに暴力的なもの、ブクマ先への中傷誹謗が多い、ということで物議を醸し出してしまったわけです。 確かに中傷誹謗が全くないとは言わないし、それを良しとは思いませんが、ネガティブコメントに対する耐性がない人が多いことに、ちょっと驚いています。 というのも、はてブにおいてネガティブコメントが付けられる人のブログを見ると、その割と多くが何かを批判す
予め書いておくと、この先は、数年前に盛り上がった儀礼的無関心の議論と、ほとんど変わりない内容になっております。 僕がブログを巡回していて、物凄く不思議に感じることに「無断リンク禁止」をローカルルールとして掲げるブログの存在があります。 知らない人に見られたくない、家族や友人に向けて書いている、などの理由で、「勝手にリンクしないで下さい」と主張するブログが、いくつもありますが、見られたくないのなら見られない工夫をしろ、と思うのに、彼等は何故アップデートPingを飛ばし、RSSを配信しているのでしょう? ……というような事は、何度も書いてきたので、ここでは「無断リンク禁止」を掲げるブロガーについての言及は避けます。 今回取り上げたいのは、無断リンク禁止サイトに対して、言説通りに受け取り、「無断リンク禁止サイトへは、無断リンクしない」という人達。 こういう人達は、必ずしも無断リンクはダメ、と考え
自分が自分のブログで不快な思いをしなくて済むように、そのブログ独自の「お約束」を設ける人は少なくないです。人によって書き方は異なりますが、「はじめにお読みください」だったり「このブログのお約束」だったり「利用規約」だったり。 要するにローカルルールの事ですね。 ローカルルールを設ける事自体は、僕は悪い事だとは思いません。法やそのサービスが設ける利用規約の範囲内でなら、自分のブログの決まりを作ることを、他人が責める事でもないでしょう。 ただし、このローカルルール、必ずしも読まれる物ではないのです。ローカルルールを読む事をネットマナーだと主張する人もいるようですが、「マナー」で縛り付けて守ってもらえる物だとは思わないほうがいいでしょう。 最初から交流目的で訪問してくれている人なら、そのブログの運営者のパーソナリティに魅力を感じているのでしょうから、ブログの隅々まで読む事と思います。そのブログ主
ちょっとした見解の違いなどからブロガー同士で揉め事になるとですね、かなりの確率でおせっかいな匿名の助け舟さんが現れたりするものなんですね。 たとえばヨシダ君(仮名)のブログで、ヨシダ君とコメンテーターのスズキ君(仮名・ブログ持ち)が、ちょっとした事をきっかけに険悪なムードになってしまったとします。 そのきっかけ自体はごくくだらない事なので、第三者を巻き込む事もなく、両者を知る他の読者も特に口出しせずに経過。 しかし二人のコメントのやり取りがちょっとエスカレートし始めた時に、ネット上の「匿名」第三者による攻撃的なコメントが書き込まれたりするのです。仮に「通行人」という捨てハンドルで行われたとしましょう。 「スズキはうぜぇんだよ、出てけよ!」 ヨシダ君を助けるつもりなのか、スズキ君に対して敵意むき出しで荒っぽい口調でのコメントです。 あるいはこのようなタイミングで、普段は荒れる事のないスズキ君
相手が「読まない」と言っているトラックバックも、送りつける意味はある(ユタカさんのコメント) また価値観について持ち出されていますが、価値観は違って当たり前なのでケンカや粘着や批判の理由にはならないと思います。価値観がそれぞれ違うことを前提としていればの話ですが。価値観の押し付けと多くの人が語るとき、それは押し付けでないことが多いようにも思います。ただの異見だと。えっけんさんの記事もそう考えると、ただの異見が価値観の押し付けに思われていた可能性があり、同様のことからはむはむさんを呼び込んだのだとも思えます。 ユタカさんは「価値観は違って当たり前で、それがケンカや批判の理由にはならない」と仰っています。 が、僕はブログのコメント欄における揉め事の大部分は、相手の価値観を認めることができずに、自分の主張を「相手のブログのコメント欄」に書き込み続けることから始まる、と思っています。 僕は以前から
リンクに対する価値は他人が判断するものじゃない ちょっと前の話で恐縮だけど。 無断リンク禁止サイトに故意にリンクをするのは「価値観の押し付け」だと、ふっくんは言う。 有用な情報なり情報元の明示を主目的としないリンクは、「リンクするだけの価値がない」のだそうだ。 私は、リンクを「故意」に行うのは、明らかに「押し付け」だと思う。 ブログなりが発達する前、リンクを意図せずに行う事の方が難しいとの意見もあるとは思う。 でも少なくとも、「無断リンク禁止」を掲げるサイトに、有用な情報なり情報元の提示を目的とするのではなく、「無断リンクする事」を主目的としてリンクを行うのは「押し付け」だろう。 無断リンクと知りつつも、「リンクするだけの価値がそこにあるから、リンクはさせてもらってます」ならば解らなくもない。 でも現実は、「無断リンクと幾ら叫ぼうが、ほらほら、リンクは貼れるんだぜ」だったように記憶している
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