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2007年6月29日のブックマーク (11件)

  • ネットマナー広場の雑記

    ● お絵かき掲示板のレンタル… - .雑記など 検討事項 ・・・【2020/07/23】 お絵かき掲示板のレンタルを始めてみても良 ● 後発だからこそ特徴を出せるわけで - その他運営の雑記 ・・・【2019/04/05】 私が作った「絵板のマナー講座」は、お絵か ● 自分だけは何をしてもOKって - その他マナー 他のマナー? ・・・【2019/03/03】 たまに見かけるのですが、自分だけは何をし ● 独自の方向性? - 方針とかの雑記 ・・・【2018/07/17】 この雑記などでネットマナーについて、独自 ● 質問サイトでのネットマナーの回答って - その他マナー マナーとは? ・・・【2018/07/15】 質問サイトとかでネットマナーに関する質問 ● スマホにも悪質なアプリが多いので - 知識 マシンのセキュリティ ・・・【2018/07/11】 パソコンはともかく、スマホなら

    soemina
    soemina 2007/06/29
    全記事表示。カテゴリー色の可愛さにブクマ。
  • 広告表示が消えないように、ご注意。

    【2007/03/25 01:41】 基礎知識? FC2様の方針で、広告が表示されていないブログは、予告なく削除されます。 もちろん、私がリリースしたテンプレートには広告表示がありますので、良いのですけど・・・。 一般論として、プラグインとか記事内とかでHTMLを間違えると、広告が消える可能性もあります。自分でHTMLタグを書くときは、特にご注意ください。 . *** 当に削除されるの? *** FC2様から、このような「お知らせ」が出ています。 http://staff.blog1.fc2.com/blog-entry-210.html 詳しくは、その「お知らせ」をご覧ください。 その「お知らせ」でよく分からなければ、コメント欄も読めば参考になると思います。 *** 自信がないのなら *** 自信がないのなら、自分でHTMLタグを書くのは避けたほうが良いでしょうね。 記事内でも、フリー

    広告表示が消えないように、ご注意。
  • ネットマナー広場の雑記 批判も非難も受けるでしょう。

    サイトを運営していれば、批判されることも非難されることも、あるでしょうね。 それは覚悟しておくと良いでしょう。 . *** 覚悟しておきましょう *** ネットには、色々な人がいます。 あなたと同じ価値観の人もいるでしょうし、そうでない人だっているでしょう。 あなたに異論を唱えたくなる人だって、いますよ。 異論を言われても、そう落ち込むようなことではありません。 最初から覚悟しておくと良いでしょう。 *** 役立つ批判は喜べば良くて *** 役立つ批判なら、素直に喜べば良いのですよ。 有益な情報を得たのですから、嘆く必要はありません。 誠実に対応すれば、サイトのイメージも上がりますよ。 *** 良いものばかりでもないですが *** 好みや価値観の押し付けなど、あまり良くない異論も来るでしょう。 虚偽の事実を基にした批判も来るでしょう。 単なる中傷だってあります。 全てをまともに受け止める必

  • ネットマナー広場の雑記 批判を公開するということは?

    ネット上で、特定の個人への批判を公開するのは、気軽にすべきことではありません。 メールなどでその人だけに送ることもできます。 公開する必要は、ありますか? . *** 強制? *** 批判を公開された人は、やはり悪く見られます。 たいてい、その批判を認めるか反論するか、択一を迫られることになるでしょう。 公開での批判って、多くの人に対しては、対処の強制になりかねません。 *** なぜ公開しますか? *** わざわざ批判を公開する意味は、何ですか? 相手に対応を強制するためですか? 相手の社会的評価を傷つけるためですか? もちろん、ご自分のような考えもあると広く知らせることはできますね。 でも、特定の個人を指さず、一般論として公開することもできるでしょう。 批判の前に、わざわざ名指しして公開する必要があるか、考えてみましょう。 *** 批判への耐性? *** 世の中、精神的に強い人ばかりでは

  • 主張の強度と応答可能性 - novtan別館

    「〜すべき」「〜でなければならない」「〜は間違っている」「〜が正しい」という意見は、強い主張であり、何らかの根拠を示すことなく行うことは難しい。それがファクトの積み重ねであっても、最終的に整合性の取れた理論化ができない限り、万人からその意見の正当性が認められることはなかなかあることではない。ただ、理論そのものが強固に構築されていたり、特定の知識を前提として必要とする難解なものであったりする場合、理論に対する反論をその素養が無い人がすることも難しい。だから、わかりやすいところとしてのファクトに対する反論を行うことになる。 一方、「〜かもしれない」「〜と思う」「〜の方がよい」「〜ではないだろうか」的な、断定的ではない意見*1は理論そのものが脆弱であるから、理論そのものについての反論が多く生まれる傾向があるように思われる。 前者において提示されているのは、多くの場合、理論であり、その証拠である。

    主張の強度と応答可能性 - novtan別館
    soemina
    soemina 2007/06/29
  • ウェブに求めることの差異 - novtan別館

    ちょっと前に、突然3つのエントリを書きました。多分、なんだかわからなかったと思います。 理論の世界〜反論は許さない!〜 - novtan別館 感情の発露〜同情しか認めない!〜 - novtan別館 武勇伝〜酔っ払って人を轢きかけたぜ!〜 - novtan別館 これらのエントリは、若干大げさに、ある人がウェブに求めること、あるいはどう利用しているかについて書いてみたものです。 ウェブ上で議論が巻き起こったり、あるいは誹謗中傷の話になったり、匿名顕名実名の話になったりするとき、しばしば特定の利用形態の観点のみで語られることがあります。そして、その観点にマッチしないからダメだと結論付けられます。でも、「ウェブとはこれこれをするところである」「ウェブではこれこれはしてはいけない」と言うルールがない、あるいは一般常識に照らしてこれは的なルールしかない*1以上は、そういった見方で物事を考えるのは、机上

    ウェブに求めることの差異 - novtan別館
    soemina
    soemina 2007/06/29
  • 物事に対する思いの差異 - novtan別館

    同じ思いを抱えていたり、同じ目的があったりしても、その思いの源泉は一人一人が違っている。その根的なところの差異は音で話したときには結構重大な違いになって、そこにほとんど違いが無い人だけを集めることってなかなかできないことだから、ときには揉め事の原因になってしまうけれども、どうしても発生してしまう。 その根的な差異を認められないと、辛いことばかりだ。人生におけるその物事に対するプライオリティーがまちまちの集団で、いちばんやりたい人が中心になって動くことになるのはしかたがないし、そのことについて、それほど重要だと思っていない人があまり理解してくれないのもしかたがない。 理解して欲しい、という気持ちはもちろん否定されるべきではないけれど、それが義務とか責任とかに転嫁されてしまうと、気持ちの押し付けになってしまう。だから、説得か洗脳か、あるいは諦めしかない。これらの手段は、どれかを選べってわ

    物事に対する思いの差異 - novtan別館
    soemina
    soemina 2007/06/29
  • 自らの信念のみにより何かを動かしたい人はブログを書くべきではない - novtan別館

    忘れない為のアイディアノート。内容は練れてません適当です。 何かを提言するだけの人はバランスよく人の意見を聞かなければならないと思う。自分はこう思う、しかし、こういう考え方もある。どちらも間違ってないし、いいところを取り入れて、こういう風になっていったらよいね、というように。そういう人が、自分の考えを練り上げる過程で例えばブログで発信するような、反論を受け付けます。議論をします。悪いところがあれば直しますし、他の良いところは取り入れます、というような行動を取るのは非常に納得感がある。 しかし、気で何かを動かしたいと思っている人が取るべき戦略はそうではないのではないか。 自らの信念のもと、強引に実行に移し、既成事実を作ってしまうか、あるいは、反論の必要を認めず、人を洗脳するかのように自らの考えを広めることが最適だろう。そして、それを行う場としてブログは全く相応しくない。 言論人としてブログ

    自らの信念のみにより何かを動かしたい人はブログを書くべきではない - novtan別館
  • 批判されることに対する態度について - novtan別館

    例えば、僕がここで仕事について愚痴を書いたとすると、その目的はなんだろうか。直接の人間関係がなく、ある程度内容を知らない人たちに愚痴を聞いてもらいたい?それなら全世界に発信するほどのことではないし、もう少し相応しい場があるだろう*1。であれば、きっと、愚痴の内容について、こちら側に(100%ではないけれども)正当性があることを確認したい、確認することで溜飲を下げたい、という意図があるはずだ。そういう意図がある以上、正しさの判定を求めているわけだから、その正しいと考えていることについての批判も当然発生するわけだ。ぽつりと、独り言をこぼす。でもその独り言には「誰か聞いてよ」っていう気持ちが込められて無いだろうか。そんなことはない?ならば日記帳に書けばよいのだし。 あるいは、自分の専門家的主張を専門家的な態度で表明する。批判は堂々と受けて立つ。専門家なのだから。しばし、壮大なバトルになることだろ

    批判されることに対する態度について - novtan別館
  • 「w」は嘲笑かを語源から探るの続き - novtan別館

    想像通り、この件に関しては色々とコメントいただき、複数文化圏の存在を確認しましたのであらためてまとめてみます。発祥と言う点では、複数の文化圏から並行的に発生したものがインターネットの発展で融合し、形を変えていったというわけで、「もともと」は複数あってよいんじゃないかと思います。 「w」が何を意味しているか (笑)説:主流ですね。Diabloは1996年ですから、一般人的インターネット前史時代(1990〜4年頃)には草の根BBS上で既に使われているのを確認していますから、海外ネトゲがいちばん最初ってわけではありませんが、ここで初めて見た、使ったって人は結構いる感じですね。Diablo1はチャットで日語が通らなかったから、という合理的な理由もあります。 (を説:これはあまりメジャーではないようですね。これも、一つの文化圏としては確実に存在しました。「(ぉ は、X68000での文字化けが起源だ

    「w」は嘲笑かを語源から探るの続き - novtan別館
    soemina
    soemina 2007/06/29
  • 「w」は嘲笑かを語源から探る - novtan別館

    いまさらwの語源などと言うと、「古参ネットワーカー(火暴」的ラベルを貼られそうなのですが、まずそこから。 説1:「笑」 最も有力と思われるし、現在はこの意味しかもたないと思われる。もともとは、(笑)とか文末に(笑として使われたのが、(w)とか(wに変化し、さらに括弧が不要になったもの。ただし、海外MMO語源説もある。登場時期的に言ってマッチしないから、それは的外れと思われる。 説2:「を」 今やこの説を主張するものは少ないけれども、実際に使われている現場を目の当たりに、かつ使っていた身としては、語源として捨て難い。実際には説1との両面で生まれ、笑の意のみが残ったということだと思う。で、何故「を」なのかというと、そもそも草の根BBS(大手商用BBSには僕は触れていないので、あえて限定する)でのやりとりの際に、一人ボケツッコミを表現する手法として「〜(おいおい」というものがあった。多分に自分

    「w」は嘲笑かを語源から探る - novtan別館
    soemina
    soemina 2007/06/29